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秋山成勲という稀代の異物だけが成しうること 

text by

橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

PROFILE

photograph byJunji Hata

posted2008/05/15 17:32

秋山成勲という稀代の異物だけが成しうること<Number Web> photograph by Junji Hata

 その日、彼は撮影現場となる後楽園ホールに少し遅れて現れた。入りを待つ間、撮影スタッフに漂っていた緊張感は、“魔王”とも称される格闘家の意外なほどの明るい表情と礼儀正しい態度によって一気にほどけた。ただ、安堵感とともにかすかな違和感が生じたのもまた事実だった。

 撮影後には『DREAM2』欠場の記者会見が予定されていたのだ。「負傷したヒザの検査のため」、3日前の記者会見を急遽、欠席した男の去就は発足したばかりのDREAMに大きな波紋を起こしていた。まさにその渦中で、スタッフの勝手な想像を裏切ってみせた秋山成勲。この男が今、格闘技界において最も“ 熱”を帯びた視線を集めている。

 オリンピックの有力候補と目された柔道家は、2004年にプロの世界へと足を踏み入れる。以後13戦して10勝、2006年にはHERO'Sライトヘビー級トーナメントで優勝を果たした。“極め”の強さはもちろんのこと、特筆すべきは打撃である。組み技出身の総合ファイターの多くが打撃への対応に苦しむ中、秋山はそのエッセンスを驚くべき速さで吸収していったのだ。

 永田克彦をバックキック一発で悶絶させ、ケスタティス・スミルノヴァスはハイキックからのパンチ連打で沈めた。いっそ“打撃系柔道家”とでも呼びたくなるような闘いで、彼は見る者を驚かせてきた。

 だが、それほどの実力をもってしても、秋山は格闘技ファン、とりわけマニアックな層には新たなヒーローとして受け入れられなかった。日焼けした顔から白い歯が覗き、記者会見ではファッショナブルなスーツに身を包む。デビュー当時は髪を銀色に染めていた。そういう秋山のスタイルは、コアなファンたちの反感を呼ぶものだった。もちろん、格闘技は実力がものを言う。勝てばそんなスタイルさえ評価され、認められていく世界である。しかし秋山は、結果を積み上げ、その実力が認められつつあった時期に“事件”を起こしてしまう。

 2006年の大晦日、秋山は『Dynamite!!』で桜庭和志と対戦した。パウンドを連打しての完勝に見えたが、後に裁定はノーコンテストへと覆る。秋山が試合直前、全身にスキンクリームを塗りこんでいたことが発覚したのだ。秋山は謝罪すると同時に故意ではないと語ったが、それで責任を免れるものではない。言い渡されたのは無期限出場停止処分だった。

 こうして、総合格闘技史上最大のヒールが誕生した。拒絶反応は凄まじかった。秋山を叩いた者たちの偽らざる心境は“やっぱり”“それ見たことか”というものだったはずだ。

 2007年10月のHERO'Sソウル大会で、秋山は復帰を果たす。対戦相手は、桜庭と同じ元PRIDEファイターのデニス・カーンだった。PRIDEウェルター級GPで準優勝しているこの実力者を、秋山は1RでKOしてみせる。ブランクを感じさせない、あまりにも完璧な勝利だった。

 カーンに勝ったことで、ヒールとしての秋山の存在はますます大きくなっていった。圧倒的に“悪く”、圧倒的に“強い”秋山に、誰も勝てないかもしれない……。ファンが抱いた複雑な感情は、“魔王”に挑む勇者として『やれんのか!― 大晦日!― 2007』で対戦の名乗りを挙げた三崎和雄に託された。

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