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ヘレス 「極貧クラブの挑戦」 ~予算はレアルの約1/60~ 

text by

横井伸幸

横井伸幸Nobuyuki Yokoi

PROFILE

photograph byToru Morimoto

posted2009/08/28 11:30

ヘレス 「極貧クラブの挑戦」 ~予算はレアルの約1/60~<Number Web> photograph by Toru Morimoto

熱狂的なファン「ヘレシスタ」に支えられ、2部から1部へと初昇格を果たしたへレス。あまりにも少なすぎる予算と、不足する選手数。金欠による独自の“経営戦略”をレポートする。

 ヘレス・デ・ラ・フロンテーラはアンダルシア種の馬とシェリー酒の産地であり、毎年motoGPが開催されるオートバイ好きの聖地である。

 去る6月13日、ここでちょっとした祭りが起きた。町一番のサッカークラブ、ヘレスCDが創立62年目にして初の1部昇格を成し遂げたのだ。

 ヘレスは熱心なファンと慢性的財政難が有名な、今季の1部20チーム中最小規模のクラブである。2008年の予算は700万ユーロ(約9億6000万円)で、ビッグクラブのスター選手1人の年俸にも及ばなかった。ホームスタジアムであるチャピンは2万1500人収容だが、'08-'09シーズンの一試合平均観客数はおよそ1万人だ。

 そんなヘレスが歴史的1部デビューに向けて、どのように準備を進めているのか。実際に確かめるべく、昇格達成から1カ月半ほど経った8月のある日、車を南へ走らせた。

ヘレスは由緒正しき“フットボール”の街。

 スペイン南部アンダルシア州の夏は強烈だ。慣れない者にとって日差しは殺人的に強く、サングラスをしていないと目が痛くなる。ちょっと日向にいると、肌がジリジリ焼けていくのが実感できる。

 それでも内陸のセビージャから行くと、ヘレスの町は過ごしやすい。町中の温度計は37度を示していたが、連日40度オーバーの都会から来ると、これが涼しく感じられる。

 シェリー酒のおかげで16世紀末から英国と交流していたヘレス・デ・ラ・フロンテーラは、スペインで最も早く“フットボール”に触れた土地のひとつだ。記録によると、英国人によって最初の試合が行なわれたのは1870年11月。町最初のクラブ“ソシエダ・ヘレス・フットボール・クラブ”も1907年、シェリー酒産業に従事する英国人の手で立ち上げられた。ヘレスCDはそれが改編と改名を経て、1947年に生まれ変わったものだ。

朝からビールでご機嫌な“ヘレシスタ”の声。

 歴史ある旧市街を出て、次々に現れるシェリーの蔵“ボデガ”の案内表示に惹かれながら進むと、やがてチャピンが見えてきた。

 スタジアム脇に車を寄せる。すると、いきなり面白い光景が目に飛び込んできた。地元の暇そうな男たちが集まり、ビールを立ち飲みしながらだべっているのだ。これがバルなら、どこの街角でも見かける。だが持ち寄ったものを屋外で飲む“ボテヨン”スタイルは学生のもの。それをいい大人が、朝っぱらからとは……。

 恐る恐る近づいて声をかけてみると、返ってきたのは全員揃っての笑顔だった。次の瞬間、ベンチに置いたつまみの生ハムを指し、「まあ食えよ」と勧めてくる。

写真

 彼らは皆ヘレスのファン“ヘレシスタ”だった。聞けば、いつもここに集まって飲んでいるという。

 なかでも人懐っこそうな1人を捕まえ、まず名前を聞いた。パコ、46歳。挨拶代わりに1部昇格は嬉しかったでしょ、楽しみでしょと言ってみる。すると、

「おお、そのとおり。初めてだからな」

――という答が返ってきたと思うのだが、強い訛りとアルコールのせいで何を言っているのかハッキリわからない。

 いかにもアンダルシアのおじさんである。

――ヘレスは多くの問題を抱えているようだけれど大丈夫?

「そんなのいつものことだからな。今に始まったことじゃない」

 一応顔をしかめるが、深く気にしている様子はない。

<次ページへ続く>

► 【次ページ】 練習場は馬牧場!? 崖っぷちの財政状況。

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