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<プロ野球・円熟の最年長世代> 木田優夫 「150kmはあきらめない」 

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永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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posted2011/04/18 06:00

巨人のドラフト1位から始まった彼のプロ野球人生は、今年で
25年目を迎える。 日本人としては異例の多彩な経歴のなかで、
ベテランはなにを獲得したのか。 いまだ進化を諦めない異色の右腕が、
自らの半生と野球観を語りつくす。

 履歴書の職歴欄は、インクで真っ黒になってしまうに違いない。

 巨人、オリックス、デトロイト・タイガース、オリックス、ロサンゼルス・ドジャース、シアトル・マリナーズ、ヤクルト、日本ハム。のべ8チームを渡り歩き、2度の渡米と2度の日本球界復帰を経験した。どの球団にも所属しなかった1年もあれば、交通事故で全治6週間の重傷を負った過去もある。

 25年目の開幕直前。42歳の木田優夫は、自らの流浪のプロ人生を訥々と語り始めた。

中学生の頃から憧れていたメジャーリーグ。

 昔、巨人にいた頃は「こうしたら勝てるんじゃないか」というより、「オレはこういうボールで抑えたいんだ」という思いがすごく強くて。真っ直ぐと、フォークだけでね。でも、長嶋(茂雄)さんが監督になった時、投手コーチとして来られた堀内(恒夫)さんに、「うちは三本柱(槙原、斎藤、桑田)とガルベスで先発はしっかりしてる。だけど、チームが困ってる時に先発したりリリーフしたりする役目を、ベンチの誰かがやらなきゃいけない。それをお前にやらせるから」と言われたんです。それは逆に言えば、巨人の投手陣が1年間回っていくためには、僕が必要だということ。周りからは“都合のいいピッチャー”とか言われたけど、僕自身は誇りをもって野球をやってたんですよ。

 メジャーには、中学生の頃から憧れていました。トム・シーバーというピッチャーについての本も読んでたし、高校時代に(ドワイト・)グッデンとか(ダリル・)ストロベリーがNumberに載ってるのを見て「うわ、かっこいい、こいつら」って。巨人のキャンプや教育リーグでは、何度もアリゾナに行かせてもらいました。一軍に上がって5年目の時、日本に帰る途中にロスに泊まったことがあって、メッツのキャンプに参加していた柏田(貴史)に会ったんです。「いつかアメリカで野球やったら楽しいだろうな」って2人で話しました。そしたらアイツがああいう形(野球留学からメジャーに昇格)で先に行きやがって(笑)。オリックスに移籍してFAを獲れた時、「じゃあ、オレも行ってみよう」と。

「メジャーで通用する力があるのに帰るなんて」(野茂英雄)

 '99年からプレーしたデトロイトでは、「やっぱり野球のレベル高いんだな」とか、そういう勉強はさせてもらったけど、野球観そのものは実はそんなに変わらなかった。2年目、マイナーに落ちた時に、仰木(彬)さんがオリックスに戻って来いと言ってるという話を聞いて、日本に帰ることをすぐに決断しました。GMに挨拶をするために球場に行くと、たまたま野茂(英雄)が練習に来ていて、「メジャーで通用する力があるのに帰るなんて、本当にもったいない」って。僕以上に真剣に考えて言ってくれたんです。その言葉を聞いて、「ああ、もったいないのかな」と少し迷いました(笑)。

<次ページへ続く>

【次ページ】 心技体のバランスを崩した2度目のオリックス時代。

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