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またひとつ消える、プロレスの「聖地」。 

text by

門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

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photograph byEssei Hara

posted2005/11/10 00:00

またひとつ消える、プロレスの「聖地」。<Number Web> photograph by Essei Hara

 列島を東へ西へ。全国のプロレス会場を取材で訪れ、はや42年。大分・県立荷揚町体育館に続いて思い入れ深い会場がまたひとつなくなるという。仙台・宮城県スポーツセンターだ。

 広瀬川の川辺に建ち、額に汗して上れば、そばには独眼竜・伊達政宗像が市街地を見下ろす青葉城跡の公園。桜のシーズンは日本プロレスのワールド・リーグ戦、紅葉の頃はNWAタッグ・リーグ戦。巡業の楽しさと季節の移り変わりが肌で感じられた会場だった。

 収容人員5000人強。東北のスポーツ文化の拠点だったそのスポーツセンターは'64年7月にオープン。東京・大田区体育館、神奈川・横浜文化体育館などと同じ40年の歴史を持つ。その老朽化に伴い、施設を仙台市に返還し、来年3月に閉館するという。

 11・21ノア、11・29全日本の試合を最後にプロレス興行の役目を終える。

 あのジャイアント馬場も好きだった会場であり、“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤーが「仙台のマジソン・スクエア・ガーデンだ」と称したように、外国人レスラーからも親しまれた。古くは日プロ時代、野獣ブルート・バーナードが角材を持って暴れた、大木金太郎(キム・イル)の耳そぎ事件や、'75年12月15日、全日本の馬場vs.ジャンボ鶴田の師弟初対決で馬場が体固めで勝利した記念すべき試合があった会場であり、地元の有力紙・河北新報も「数々の名勝負を残した会場」と報じたほどである。

 筆者的には'85年12月12日、新日本の公式リーグ決勝戦で、藤波辰巳、木村健吾組が初代IWGPタッグの王座に就いた試合が思い出深い。大会直前、決勝進出を決めていたB・ブロディ、J・スヌーカ組が試合をボイコット、代わって出場した藤波、木村組が猪木、坂口組を破る大殊勲を飾った。藤波が師匠・猪木をドラゴン・スープレックスで沈め、初フォールを奪ったシーンが鮮明に蘇る。その初代王者チームに勝利者トロフィーを手渡したのは、ほかならぬこの私だった。

 全日本恒例のイベント、世界最強タッグ決定リーグ戦の出場10チームが発表になった。注目の武藤、曙(初出場)組が、宮城県スポーツセンター最後の興行でどんな暴れっぷりを見せてくれるのか、非常に楽しみだ。

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