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晩節をまっとうした川相昌弘の幸せ。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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photograph byKoji Asakura

posted2006/11/09 00:00

晩節をまっとうした川相昌弘の幸せ。<Number Web> photograph by Koji Asakura

 中日の本拠地・ナゴヤドームの駐車場。日本シリーズ中、6人の家族を乗せて大型のワゴン車で帰宅する川相昌弘の姿が見られた。

 「日本一を置き土産に有終の美を飾れたら、最高の野球人生だね」と語っていた川相が、今季限りの引退を決意したのはシーズン途中である。自分と似たようなタイプの奈良原浩が日本ハムから加入したこともあり、夏を迎える前に出番は減った。「優勝争いの中に身を置けなくなったら、役目は終わり」という潔い男の決断。本拠地最終戦となった10月15日の横浜戦で送りバントを決め、自身の持つ犠打世界記録を533に延ばし、花道を飾った。

 引退セレモニーで家族から花束を受け取った川相は、涙を見せず「どんな時でも逃げることなく、家族とともに戦い続けた24年間の現役生活でした」と振りかえり、最後に「これを本当の引退にしたい」と付け加えた。

 川相が「本当の」と言ったのは、巨人時代の'03年オフ、一度ユニフォームを脱ぐ決意をしたからだ。セレモニーもした。巨人のコーチになることも決まっていた。しかしその後、原辰徳監督の退任を見て、コーチ就任を固辞。他球団での現役続行を選んだ。「若手の手本になってくれ」と誘ってくれた落合博満監督の下で、テスト生として年俸3000万円の再スタートを切ることになったのである。

 ちょうどそのころ、瀧安治(元巨人)の葬儀の席で、葬儀委員長を務めていた川上哲治が、川相を見付けるなりこう言った。「お前のプロ根性は大したものだ。しかし、巨人は大きな人材を失うことになったな」

 川上の予想した通りとなった。それからの3年間で、中日は2度のリーグ優勝を果たし、逆に巨人は2度のBクラスと低迷した。「若手が育たない。あのまま川相が残っていたら」という巨人関係者も多い。

 今季、川相は、7月20日に登録抹消された後も、メンタルアドバイザーとして一軍に帯同して、チームを陰で支えた。「自分を拾ってくれた落合監督への恩返し」という意味があった。

 巨人での21年間以上に思い出を残した中日時代の3年間。犠打の名人が、球界を去る。

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