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2000本安打達成に清原和博を巡る思い。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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photograph byShigeyuki Nakao

posted2004/07/01 00:00

2000本安打達成に清原和博を巡る思い。<Number Web> photograph by Shigeyuki Nakao

 ヤクルト・ベバリンから打った2000本目の安打がセンター返しだったのは、いかにも巨人・清原和博らしい。西武に入団した19年前、「PL学園時代にプロで通用するためのバッティングを教わった。センター返しこそ、最良のバッティングだって」と言っていたのだ。

 試合後、記者会見場に清原があらわれると、拍手が起こった。清原もいつになく丁寧に「ありがとうございます」と言うと、屈託のない笑顔を浮かべた。「今までの苦労が長かった分、あっさりと出たね」という言葉には巨人移籍後、不調や怪我に悩まされながら記録達成したことへの気持ちが滲み出ていた。

 清原はおじいちゃん子である。家業に忙しい両親に代わって清原の世話をしてくれたのが大酒飲みの祖父だった。この祖父が巨人の大ファンだった。膝の上で清原をあやしながら「闘魂こめて」を子守唄代わりに歌ってくれたのだという。清原が巨人に特別な気持ちを持たないはずがなかった。

 しかし、憧れのチームではいいことばかりではなかった。清原家は親しい人に、故郷・岸和田の桃を送る。地元の桃作りの名人は、大きな実を育てるために、その木の他の実を間引きするという。清原の周囲も淘汰されてしまった。いま残っているのは家族である。神宮球場のネット裏、妻・亜希さんの横ではしゃぐ長男・正吾君に幼い日の清原の姿が重なって見えた。

 清原がプロに入って師事した西武の土井正博コーチは「当てにいかなくていいぞ、ともかく振りぬけ」と言い続けた。PL時代の教育で、当てにいくチームバッティングになりがちなことへの忠告だった。結果はプロ初安打が本塁打となった。2001本目の本塁打も、教え通りのフルスイングから放たれた。

 2年目だったと思う。清原が当時の森祇晶監督から食事に誘われたことがあった。同じ日、中日の落合博満から、その夜だったら食事が出来ると聞くと、清原は森の誘いを断り、落合との会食に出掛けたのだった。その夜は、少年のように目を輝かせながらバッティング理論を聞き続けていた。母・弘子さんはそれを知り「あの子は子供のままのところがある。自分の立場が分かっていない」と嘆いていた。2000本安打を放った後の笑顔も少年時代のそれのようだった。

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