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佐々木主浩の引退に感じたやるせなさ。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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posted2005/09/01 00:00

 野球選手の引退の仕方は三つあると思う。余力を残しながら、惜しまれつつ辞めていくというのが一つ。王貞治、長嶋茂雄がそうだった。二つ目は、現在の立場と将来の生活設計を考えて、今辞めたほうが得と決断する場合。江川卓などがこれにあたる。そしていらないと言われるまでユニフォームにしがみつくのが三つ目。野村克也がそうだった。

 横浜・佐々木主浩は、一体どれに当てはまるのだろう。8月9日に仙台で行われた巨人戦を最後に、佐々木は引退した。舞台は佐々木の故郷、相手は良きライバルだった清原和博。フォークでの空振り三振で終えた引退登板は、本来、もっと感動していいはずだった。しかし、何か白けたものを感じたのは何故だろうか。

 メジャーから帰ってきた時、すでにその予兆はあった。確かに、日本、そしてアメリカを代表する抑えとして君臨した実績は誰もが認めている。実際、帰国した佐々木は、従来のパワーは失っていたものの“大魔神”としての顔はまだ通用した。だが、球界最高年俸を払うほどの存在だったかといえば、疑問が残った。横浜のオーナーは「巨人その他からも誘いがあった」という佐々木側の言葉を聞き、将来の幹部候補生に指名した上に、最高年俸を提示した。百戦練磨の佐々木の術中にはまってしまったのかもしれない。逆にその位のしたたかさがなければ、球界を代表するストッパーとして活躍できなかったとも言えるのだが。

 今回の一件で、割を食ったのはチームである。引退報道の時点で、横浜は首位阪神に連勝中。勝率を5割に戻し、この好調を維持できれば十分に上位争いができる状況にあった。だが、これは結果論に過ぎないが、あの報道以来、横浜は5連敗を喫する。

 マリナーズのイチローは、佐々木の引退に際し「嵐のような存在」と評した。言い得て妙である。イチローが発言した真意とは違うのかもしれないが、佐々木は、先行きに不安を感じた時、必ず、嵐を巻き起こすのが常だった。牛島監督もその嵐に巻き込まれたと言っていい。

 何故、もう少し待てなかったのか。

 佐々木―清原の名勝負も、茶番に見えてしまったのは残念だ。本当の「ご苦労さん」はシーズンが終わった時、素直に言いたかった。

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