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桧山進次郎 暗黒時代を知るからこそ。 

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城島充

城島充Mitsuru Jojima

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posted2005/08/18 00:00

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[生え抜きの矜持]桧山進次郎 暗黒時代を知るからこそ。

城島充=文

text by Mitsuru Jojima

 前夜のオールスターゲームの余韻が消えた甲子園球場で、檜山進次郎は黙々と汗を流していた。後半戦、レギュラーの座を争うことになる濱中と一緒にノックを受ける姿を見ながら、トラ番記者の一人がつぶやく。

 《右肩の調子さえよかったら、濱中かもな。檜山もツボにはまったら凄いんやけど……》

 毎年のように、外野の一角を新たな助っ人選手らと争ってきた彼を“サバイバルの達人”と称したスポーツ紙があった。今季の前半戦も、生え抜き最年長となった36歳はライトの定位置をスペンサーと競いあった。

 昨年は130試合に出場し、3割6厘、84打点と過去最高の成績を残した。彼の宿命は、それでも絶対的な『何か』が足りない厳しい現実の裏返しでもある。チーム事情と個人のモチベーションがかみあわず、慣れないファーストを守ったこともあった。

 「昔は『なんでやねん』って思ったこともありましたが、今は全くそんな感情にはならないですね。周囲にどう映ろうと、常に自分自身との勝負やと思ってますから。'03年の優勝で野球観が変わりました。優勝を争う高いレベルで野球ができる充実感を初めて味わって、打順や守備位置とかは関係なく、ずっとそんな環境で野球を続けたいと思ったんです」

 だが、前半戦の檜山は不振を極めた。打率は1割台に低迷し、スペンサーと併用する岡田采配を疑問視する新聞記事もあった。平田勝男ヘッドコーチは「岡田監督はシーズン全体を見通して檜山を使っている」と反論したが、結果が出ない焦りのせいか、左足を負傷し、一時は戦列からも離れた。

 檜山が存在感を示したのは、パ・リーグとの交流戦だった。負傷から復帰したばかりの5月15日、楽天戦で岩隈久志から特大の2号を放つと、さらに3日後には西武・松坂大輔の149kmのストレートを「ほんの少しだけ、バットを短く持って」バックスクリーンの右へ運んだ。

 「不調から脱するきっかけにしたい気持ちが強かったけど、『俺を忘れてもらっちゃ困るぞ』って意地もありましたね。でも、一年を通じて結果を残したいんで、交流戦限定で誉められるのはちょっと……。後半戦、なんとかいい成績を残さなあきませんね」

 檜山はそう言って苦笑するが、球界を代表する2人のエースから放った彼独特の美しいアーチは、古いタイガースファンの目頭を熱くさせた。金本知憲や下柳剛らFAやトレードで入団してきた選手たちの活躍で生まれ変わった阪神もいいが、彼らはどこかで「ダメ虎」への郷愁もひきずっている。

 10年前、タイガースの第70代4番打者に抜擢された頃の檜山は“壊れた扇風機”と揶揄されるほど、三振の山を積み上げた。「『俺が4番を打ってるようじゃあかんな』って思いながら打席に入ってました。あの頃はどう考えてもチーム力が他のチームより劣っていて、将来のことを見据えて起用してもらったのかな、とも思ってました」

 '99年から野村克也が指揮をとったが、檜山は「二軍に落とされるより辛かった」という代打生活を強いられた。'01年には初めて3割の打率をキープし、球団新記録となる28試合連続安打を放ったが、チームは最下位から浮上できなかった。

 入団した'92年シーズンから11年間で、6度も最下位の屈辱を味わった。'03年に18年ぶりの歓喜を迎えるまで、檜山はチームの主軸として苦境に耐えた。自虐的な気分で声援を送り続けた多くの虎党の脳裏には、その姿がはっきりと刻まれている。

 今季の開幕カードとなったヤクルトとの第2戦。「24」番への声援にどこかノスタルジックな感情が込められていることを、檜山自身が実感する場面があった。

 開幕戦で出番のなかった檜山はこの試合でもスタメンを外されていた。5回表、スペンサーに代わって初めてライトの守備につこうとした時だった。

 「大阪ドームのライトスタンドからものすごく温かくて大きな歓声が起こったんです。驚いたし、すごく勇気づけられました。あの時の感動は一生忘れられないですね。それまで『生え抜き最年長』というのはあまり意識してなかったんですが、弱かった時も、強くなった今もこのチームにいられるのは幸せなことだって感じました」

 声援を受けた翌日、プロボクシング日本スーパーフライ級タイトルマッチが行われたIMPホールに檜山の姿があった。同じトレーナーに師事する挑戦者の名城信男を応援するためだった。

 試合は挑戦者が初防衛を目指す王者の田中聖二を序盤から圧倒したが、最終10ラウンドにレフェリーが試合を止めるまで、28歳の王者はリングに崩れる屈辱を拒み続けた。田中は25戦目で悲願のベルトを巻いた遅咲きのボクサーだった。そして王座を失った後の控え室で倒れ、12日後に帰らぬ人となった。

 檜山は挑戦者に声援を送りながら、いつのまにか王者に複雑な感情を重ねていた。

 「何度も挫折を乗り越えてチャンピオンになった田中選手が、苦労して苦労してリーグ優勝した自分と同じものを背負って戦ってる気がしたんです。もちろん、一緒に自主トレもしたことのある名城選手に勝ってほしかったんですが、最後まで倒れなかった田中選手のプライドに胸を打たれました」

 挫折を糧に不屈の精神を身につけたボクサーの背中に、檜山は自らの野球人生を投影した。だからだろうか、前日に感じたばかりの「幸せ」をこんな表現で語れるようにもなった。その思いが今、彼の背中を支えている。

 「タイガースで天と地を味わった経験は僕の宝です。いろんな面からものを考えられるし、天国ばかりを見てきた人よりも強いはずだから……」

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