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ソープ、失格から復活までの裏事情。 

text by

井本直歩子

井本直歩子Naoko Imoto

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posted2004/05/20 00:00

 その瞬間、観客席から悲鳴が上がった。

 水泳界のスター、イアン・ソープが豪五輪選考会400m自由形予選のスタートの合図前に、プールに落ちたのだ。

 フライングによる失格――。ショックからか、本人のコメントは発表されなかった。関係者は「スタート合図までの時間が長かった。合図を聞いたと思ったから飛び込んだ、と言っていた」などと語った。しかし、抗議は認められず、同種目の世界記録保持者、シドニー五輪の金メダリストは出場権を逃した。

 ルールはルール。日本人なら「いくらソープでも一発選考で失格したのだからアウトでしょ?」と考えるのが普通ではないか。

 しかし、豪州の世論は違った。ソープ失格の瞬間から、2位で五輪出場権を獲得したクレイグ・スティーブンズの周囲は一気に騒がしくなる。豪ABC放送の世論調査では、半数以上がソープの400m出場を熱望し、ハワード首相までがソープの同種目不参加は「国の悲劇」とコメント。そしてスティーブンズが最終日に1500mで2位に入り、個人種目2つめの五輪出場権を得ると、インタビューアーはプールサイドで「400mを辞退しますか」とマイクを向けた。

 それだけではない。五輪本番で400m自由形の放映権を持つテレビ局は、ソープの特別枠で出場できる可能性を模索。メディアだけでなく豪水連までもが、スティーブンズ辞退の場合、3位の選手ではなく、ソープを出場させるという異例の声明を発表した。

「イアンが400m自由形決勝を泳ぐのを見たい。僕は1500mとリレーに集中する」

 1カ月後、スティーブンズは辞退を表明した。辞退会見の独占放映権を各局は争い、最終的にスティーブンズには、6万豪ドル(約480万円)が支払われたという。400mでは決勝進出そこそこのスティーブンズは、同種目7年間負けなしの友達にレースを譲らざるを得なかった。そんな彼に同情する声もあるが、「カネのために五輪のレースを親友に譲った」という中傷の声も聞こえてくる。

 すべては、ソープの400mでの金メダルが確実視されているために起こったこと。それが、一発選考の潔さを帳消しにした。国民の多大な期待を背負い400mを泳ぐことになったソープ。プレッシャーでフライング失格の二の舞を犯さなければいいのだが……。

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