大谷翔平 野球翔年 Ⅰ
大谷翔平 野球翔年 Ⅰ
メジャーリーグで活躍する二刀流・大谷翔平の原点がここにある
開幕直後から、エンゼルスで投打に大活躍をする大谷翔平のプロ野球での5年間の軌跡とメジャーリーグでの可能性を本人の肉声とともに綴る。
プロでは“不可能”“非常識”と言われた二刀流に挑み、投打ともに驚異のレベルで進化し続け、結果を残せたのはなぜか。その理由は技術・体力はもちろんのこと、大谷翔平独自の思考法や“可能性”を信じ続けることができる信念の強さにあった。
高校卒業後にメジャー挑戦を公言しながらも、日本ハム入団を決めた経緯や、ベーブルース以来となる「10勝10本塁打」の快挙、二刀流で最多勝の衝撃の裏側が5年間の定点観測と大谷本人の言葉により立体的に浮かび上がる。
目次
プロローグ前例なき挑戦への第一歩
野球翔年 2013ルーキーイヤー
- ①高校No.1投手の選択――急がば回れ
- ②100年に一度の道なき挑戦
- ③「僕がどういう選手になるのかということは自分で決めること」
- ④3勝3本塁打の一年目――2つの壁の向こうへ
野球翔年 20142ケタ勝利、2ケタ本塁打
- ①2014年の誓い「投手で2ケタ、打者で3割はクリアしたい」
- ②二刀流の心得・投手編「自分の球をなげればそれでいいかな、と」
- ③二刀流の心得・打者編「バッターの僕には笑顔も余裕もある」
- ④「162kmより156kmの方がいい」
野球翔年 2015二刀流で最多勝
- ①「オトナの僕と、コドモの僕と」
- ②指揮官の怒りと「音合わせ」
- ③長嶋茂雄を追いかけろ
- ④「今年の組み合わせ、見つかりました」
- ⑤ふくらはぎが、教えてくれること
- ⑥エースとしての「権利と義務」
- ⑦「投も打も、すべては自分次第」
- ⑧脱力、笑顔、オートマ仕様
- ⑨「出たい想い」と「出さない理由」
- ⑩「日本一の景色を見てみたい」
- ⑪初めてのつまずき
- ⑫運命を変えた一戦――WBSC世界野球プレミア12準決勝 韓国戦
野球翔年 2016165kmの衝撃
- ①「両方続ける気持ちに変わりはない」
- ②まだ21歳、もう4年目
- ③打席の数だけバージョンアップ
- ④この手は何を見つけるのだろう
- ⑤僕の想像を超えたシーズン
- ⑥二刀流が救ってくれた
- ⑦回想録――僕の少年時代
野球翔年 2017故障と試練の先に
- ①届かなかったWBC「僕にとっては憧れみたいなものでした」
- ②どこまで打つのか、いつ投げるのか
- ③こぼれた笑み
- ④2017年後半展望――100%でやれなくても
- ⑤今年もうまくなれた
- ⑥何か、エンゼルスに縁みたいなものを感じて
野球翔年 2018夢の序章
- ①メジャーリーグ挑戦の決意「何かとんでもないものを見てみたい」
- ②開幕インタビュー「僕はまだ何も変えてない」
エピローグど真ん中にあるのは“世界一の選手”
プロフィール
大谷翔平おおたに・しょうへい
1994年7月5日、岩手県生まれ。花巻東高校時代に通算56本塁打と球速160kmをマークした。2013年にドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団2年目に日本プロ野球史上初の「2桁勝利、2桁本塁打」(11勝10本塁打)を達成。3年目の2015年には最優秀防御率、最多勝、最高勝率の投手3冠に輝く。2016年には日本プロ野球史上初の「2桁勝利、100安打、20本塁打」で、投打の主力としてリーグ優勝と日本一に貢献。リーグMVPに選出された。5年間の日本プロ野球を経て、2017年12月8日にロサンゼルス・エンゼルスとの契約に合意した。
石田雄太いしだ・ゆうた
ベースボールジャーナリスト。1964年、愛知県生まれ。青山学院大学文学部卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」等のディレクターを務める。1992年にフリーランスとして独立し、執筆活動とともにスポーツ番組の構成・演出を行なう。著書に『イチロー・インタヴューズ』 『イチロー、聖地へ』『桑田真澄 ピッチャーズ バイブル』『声――松坂大輔メジャー挑戦記』『屈辱と歓喜と真実と――“報道されなかった”王ジャパン121日間の舞台裏』などがある。
僕が高校時代にアメリカへ行きたいと思ったのは、マイナーでやりながら他の人とは違う過程を踏んだとき、自分がどんな選手になるのかなという楽しみが大きかったからでした。
まったくわからない、想像もつかない過程を踏んだとき、僕はどうなるかなというのを自分で見てみたかったんです。今も、自分がどのくらいいけるかという限界はわからないですし、てっぺんも見えていない。そっちのほうが僕は楽しみかなと思います。
大谷翔平(本書より)