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目指すのは「日本一、影響力あるランナー」。
元青学大・下田裕太の目指す先。
posted2018/06/04 11:00
text by
別府響(文藝春秋)Hibiki Beppu
photograph by
Asami Enomoto
「僕がなりたいのは、『日本で一番、影響力のあるランナー』。一番強いランナーである必要はないと思っています。とにかく最終的には陸上界を良い方向に向けていきたいなと強く思っているので」
こう自身の目標を語るのはGMOアスリーツの下田裕太だ。青山学院大学を卒業し、今年4月からは社会人で競技を続けている。
青学大では多くの実績を残してきた。特に箱根駅伝では2年目以降、チームのエース格として復路8区を走り、3年連続区間賞を獲得。チームの優勝を決定づける走りを見せ、青学大の箱根駅伝2連覇から4連覇達成までに貢献した。
「最後の箱根が終わったときはホッとしたというのが一番の思いでした。特に最後の1年は、強い先輩たちが残して来てくれた3連覇という歴史を途切れさせてはいけない、あの人たちと同じように走らないといけないということを考え続けた1年間だったと思います。
最終的には仲間の助けや、後輩の助けもあって、一応自分たちの代も優勝することが出来た。本当に良かったなというのが率直に一番、思う所ではありますね」
社会現象にも近い盛り上がりを見せた「青学旋風」だっただけに、その中心にいる選手のプレッシャーは相当なものだっただろう。
初マラソンは持ち上げられるほどではない。
特に下田は4年時にはチームのエースとしても注目され続けた。その理由の1つが、2016年に出場した東京マラソンでの結果だ。
青学大で1年先輩の一色恭志(現GMOアスリーツ)に先着し、2時間11分34秒で日本人2位に入る。この記録はマラソン10代日本歴代最高記録でもあった。
「初マラソンは……2時間12分前後を狙っていっての11分半だったので、自分の実力を出せたという気持ちはありましたけど、あそこまで持ち上げられるほどの記録ではなかったと思います。たまたま日本人で2番になってしまったというだけで。ただ、あのレースで自分は本格的にマラソンをやっていくんだというのを強く心に決められたので、そういう意味では転機だったと思います」