球道雑記BACK NUMBER
妻の献身とフォーム改造の試練……。
ロッテ大嶺祐太、絶望からの先発復権。
posted2018/01/31 17:30
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph by
Kyodo News
路上に解け残った雪と強い寒気の影響で、関東内陸部は連日記録的な寒さが続いている。
ロッテ浦和球場がある埼玉県さいたま市でも、24日に1月の観測史上最低に近づくマイナス8.6℃を記録。グラウンドには降雪から1週間が経ってもまだ雪が残っており、これから3週間は地面に水が浸透してしまっているため使用できない状態だという。
そんな中、選手たちは隣接する室内練習場で思い思いの自主トレを続けていた。
今年で入団から12年目を迎える大嶺祐太も、30分近くスロージョギングを行い、しっかり体を温めてから次の練習へ移行していた。
1月下旬はキャンプ前の最終段階で、怪我には細心の注意を払わなければいけない。大嶺も自分の体にかなり気を使っている様子だった。
2007年にドラフト1位で入団した彼も今年6月で30歳を迎える。
投手陣では内竜也(15年目)に次ぐ、ロッテ在籍年数では2番目のキャリアとなった。
一軍で戦うため、痛み止めを飲んで投げていた。
「12年……。なんだかあっという間ですね。自分でも早かったような感じがします」
紆余曲折あったこれまでの野球人生が、12年の時の流れを早く感じさせている。そんな風でもあった。
大嶺が自身の体にここまで気を遣うようになったのは、2011年の開幕直後に右肩を痛めたことから始まった。当時の状況について彼は以前こんなことを話していた。
「肩はずっと痛かったです。最初は筋肉痛みたいな強い張りから、だんだんと違和感に変わっていって、痛み止めを服用しながらやっている時期もありました。
でも、当時のピッチングコーチをしていた西本聖さんが『痛み止めを飲んでまでやる必要はないんじゃないか』と言ってくれて……。それまでは一軍で投げたいという一心で我慢して投げていたので。
そこからは緊張の糸が切れたように連日物凄い痛みが襲ってきて……そんな毎日でしたね」
そこから一軍復帰まで2年間を要する辛い日々が始まった。