ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
5連続予選落ちは必要な犠牲だった。
石川遼が語る、スイング改造の真相。
posted2017/11/29 11:00
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph by
Yoichi Katsuragawa
痛いところを突かれた――。
うすうす感づいてはいたが、ズバリと言われると口をつぐんでしまいたくなる。
「まあ、そりゃそうなんだけどさ……」
けれど自分は、ひょっとすると、その時を待っていたのかもしれない。指摘があまりに的確だと、反論する気もわいてこない。
石川遼は、あの夜の出来事から、再び試行錯誤の日々を送ることになった。
PGAツアーの出場権を失い、日本ツアーに復帰した今年10月。石川はその初戦となった日本オープンから5試合連続で予選落ちを喫した。プロ1年目、2008年に記録した“4連敗”のワースト記録を更新した。そのうち3試合は予選カットラインに6打以上及ばない惨憺たる結果でコースを去った。
ようやく決勝ラウンドに進んだのが11月のダンロップフェニックス。そして翌週の高知でのカシオワールドオープン、38位タイで決勝ラウンドに進むと、週末の好プレーで1打差の2位タイでフィニッシュ。12月の試合を残す他選手より一足先に、プロ10年目のシーズンを終えた。
“そのままやっていたら”こんな苦労しなかった。
日本で通算14勝を挙げている彼にとって、ひとつの惜敗が「終わりよければ……」という見方になるのかは分からない。それでも泥沼から這い上がった末、優勝争いに近いポジションにいた事実は明るい話題だった。
ただし、周囲にとっては不思議でならなかったことがある。振り返れば石川はこの夏、PGAツアーのシーズン終盤に復調の兆しを見せていた。入れ替え戦こそ突破できなかったが、直前の試合で決勝ラウンドを戦った。この調子のままカムバックした先の日本では、多くの試合で優勝に限りなく近い位置でプレーできると誰もが思っていた。
それは本人も同じだった。
「オレも思ってました。ファイナルズ(入れ替え戦)が終わって“そのままやっていたら”こんなに苦労しなかったと思うんです」
つまり彼は日本で戦うにあたり、夏場のプレーを“そのままやらなかった”のだった。