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プロレスも小説も、核は虚実の間に。
樋口毅宏“引退作”『太陽がいっぱい』。

posted2016/11/13 08:00

 
プロレスも小説も、核は虚実の間に。樋口毅宏“引退作”『太陽がいっぱい』。<Number Web> photograph by Wataru Sato

樋口毅宏は、存在自体がプロレス的な作家である。どこまで真に受けるか、という稀有な悩みを読書中に与えてくれる存在だ。

text by

今井麻夕美

今井麻夕美Mayumi Imai

PROFILE

photograph by

Wataru Sato

 樋口毅宏の小説を読んでいると困ることがある。

 この人物は実在するのか、この出来事は現実にあったことなのかと、ついネットで検索したくなってしまうのだ。嘘みたいな本当と、本当のような嘘。虚実のはざまに引き込まれる快感がそこにはある。

 そんな樋口毅宏が、プロレス小説集『太陽がいっぱい』を刊行した。第1話の扉には開高健のこんな言葉が引用されている。

「虚の中にこそ実があり、実の中にこそ虚がある。プロレスは大人が観る芸術だ」

 そもそも虚実が交錯するプロレスを、虚実混淆の樋口節で描く。実名なのは力道山だけで、そのほかはアントニオ猪木、長州力、ラッシャー木村、前田日明、高田延彦、谷津義章など、往年のレスラーを「彷彿とさせる」人物たちが登場する。

 1971年生まれの著者は、子供のころからプロレスを見てきたという。新日本プロレスと全日本プロレスの旗揚げが1972年。だから著者と同時代、すなわちゴールデンタイムにテレビ中継があった絶頂期から、新団体の誕生に伴うレスラーの離合集散、そして格闘技の台頭、現在の人気復活に至るまで、プロレスを追いかけてきた人なら、ネットに頼らなくてもピンとくるだろう。これからご紹介するあらすじを読んだだけで、ああ、きっとこれはこの選手だ、そういえばこんな試合があったなと。

事実とフィクションの間から立ち上がるもの。

 しかしおそらく、当時見ていたプロレスとは違う景色が、この小説にはある。事実とフィクションの間から、レスラーの生々しい感情が立ちあがってくる。リングの上で爆発させ、マイクで語る感情とは別種の、もっと人間臭く、ほの暗い何かが。

 プロローグの「野心1963」は、入門して三年のカルロス麒麟を、力道山が罵倒するシーンからはじまる。家族で移住したブラジルで、力道山からスカウトされた麒麟。だが言葉と腕力で痛めつけられる毎日を送っていた。麒麟の怒りは頂点に達し、ある決意をする。スーパースターの原点は、恨みから生まれた野心にあったのだ。

【次ページ】 「こんな楽しい仕事が他にあるか」という独白。

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