リオ五輪PRESSBACK NUMBER
リオ五輪に“滑り込んだ”古賀淳也。
「最速スイマー」の称号で東京目指す。
posted2016/09/10 10:30
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
YUTAKA/AFLO SPORT
子どものころから追い求めてきた夢が初めて叶ったのは、29歳になった夏だった。
'16年8月7日、リオデジャネイロ五輪アクアティクス・スタジアムには、すべての力を振り絞ってがむしゃらに泳ぐ古賀淳也(スウィン埼玉、第一三共)の姿があった。
大観衆の熱狂に満ちた声援。日の丸の旗。世界のトップスイマーたちの人生を懸けた目。スタンドには1泊5日の強行日程で応援に駆けつけた家族もいた。
「緊張してしまうだろうか」
多少の不安はあった。古賀には、五輪代表選考レースなどで実力を出し切れなかったことがたびたびあったからだ。
伸び盛りだった早大4年生のころ、'09年水泳世界選手権(ローマ)で男子100m背泳ぎの金メダリストになった。そこから今までの7年間は、世界選手権やパンパシフィック選手権には出場してきたものの、ロンドン五輪代表選考会では派遣標準記録に届かず、リオ五輪も背泳ぎでは代表入りを果たすことができなかった。緊迫する場面では、どうしても動きが硬くなっていた。いずれもコンマ数秒という僅差での敗退だった。
専門の背泳ぎではなく、自由形でリオ五輪へ。
しかし、リオのプールサイドに立った古賀は、ほどよいリラックス状態にあることを感じ取っていた。
「僕にとっては国内選考会の方が緊張しましたね。種目が自由形だったのも良かったかも知れません」
この言葉が示す通り、リオ五輪で出た種目は、ロンドン五輪選考会で派遣標準記録に届かなかった後に向かった米国で取り組み始めた自由形だった。取り組んだと言っても練習で自由形に時間を割くのは2割程度。古賀のポテンシャルの高さが伝わってくる。
4月の代表選考会では、100m背泳ぎの五輪切符を逃した2日後に出た100m自由形で4位となって、4×100mフリーリレーのメンバーに滑り込んだ。選考レースでは50mのターンで7位だったが、ターン後のバサロキックで加速し、ラストで3人をごぼう抜き。派遣標準記録もギリギリでクリアした。失意からの大逆転劇は、選考会最大のサプライズだった。
リオ五輪に向けたナショナル合宿では、初めて自由形のグループに入って特訓を行なった。すると、日本記録保持者である若い中村克らに引っ張られる形で、メキメキとタイムを縮めていった。