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ホッケーリーグ、3カ月遅れで開幕。
日本の競技団体の深刻な“劣化”。
posted2014/07/20 10:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Getty Images
7月12日、ホッケー男子の日本リーグが開幕した。
本来なら春に始まっているはずだったのだが、3カ月以上遅れに遅れての開幕である。
今年1月末、日本ホッケー協会は男子の日本リーグの2014年度の活動を休止すると発表した。それ以前からリーグを1部と2部に再編成する方針を掲げていたが、参加表明したのが12チーム中2チームのみだったことで、リーグ戦の実施が難しくなったことが原因だった。
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その後、不参加だったチームの中から新リーグ発足を模索する動きが起こった。そこで明らかになったのは、2部制への移行以上に、日本代表のあり方への反発であった。
その説明のためには2012年9月までさかのぼらなければならない。このとき協会は、日本代表チームは、日本リーグの優勝チームをチームごと選出するという決定を下した。
しかし11月に発表された代表チームは、2011年、2012年と連覇していた立命館大学ではなく、2位の名古屋フラーテルだった。
強引な代表選出に、全国から不満が噴出。
名古屋の代表選出の経緯はこうだ。
協会は代表チームに対し、2014年9月のアジア大会へ向けて年間300日以上の合宿を岐阜県内のトレーニングセンターで行なうことを求めていた。立命館大学の選手たちは大学生であり、300日以上の合宿は困難だ。そのため、クラブチームの名古屋フラーテルが選ばれたのである。
以前はホッケーの代表チームも、サッカーなど他のほとんどの競技同様、各チームから選ばれた選手たちで構成されていた。にもかかわらず国内の1チームをそのまま代表にする方針を打ち出したのは、強化がしやすいという理由からだ。背景には、1968年のメキシコ五輪を最後にオリンピックに出場していないという日本男子ホッケーの低迷があった。
その決定の是非はここでは問わないが、結果、国内の多くのチームやホッケー関係者から反発を招くことになった。
名古屋フラーテルが日本代表になったことで他のチームの選手は代表になるチャンスがなくなり意欲が薄れる、各地域のチームの求心力が弱まり競技普及のマイナスになる……そうした声が全国であがったという。
加えて、代表が名古屋に決まった経緯、反対意見を持つ役員への厳しい処分などにうかがえた強引さと不透明感が、協会に対する強い不信感の原因になった。