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<もう一度、代表へ> 大久保嘉人 「遺言――亡き父との約束」 

text by

益子浩一

益子浩一Koichi Mashiko

PROFILE

photograph byYoshiyuki Mizuno

posted2014/05/13 15:30

<もう一度、代表へ> 大久保嘉人 「遺言――亡き父との約束」<Number Web> photograph by Yoshiyuki Mizuno
2ゴールを挙げた翌日、病室で父を看取った後に出てきた白い紙切れ。
そこには、息子の日本代表復帰への願いが弱々しい文字で綴られていた。
“おとん”の想いを胸に秘め、大久保は一度断念した道を再び追い求めた。

くしくも父の命日にブラジルW杯代表メンバーに選出された大久保選手。
昨年7月発売のNumber833号に掲載された特集記事を全文公開します。

 5月にしてはやけに暑い週末だった。病室の窓にはブラインドがかかっているはずなのに、強い日差しが漏れてくる。ほんの30分ほど前、長く闘病生活を送ってきた父が、家族に見守られて旅立った。まだ温もりが残る亡骸を見つめながら、大久保嘉人はベッドの横にある椅子に座ったまま、動けずにいた。

 しくしくと泣きながら、妹の鮎美が荷物を片付けている。父を見舞うために何年も通ったこの部屋を、もう出なければいけなかった。それは父との永遠の別れを意味していた。

 テレビ台の引き出しを整理していた妹が「あっ」と小さくつぶやいた。長い時間、ここで暮らしていたのを物語るかのように、たくさんの物がぎっしりと詰まっている。何冊かの雑誌の下から白い封筒が出てきた。引き出しの2段目の奥の方、まるで隠すかのように、それは置いてあった。中には1枚の診断書。裏に、弱々しい指先で書いたのであろう細い文字が残っていた。

 その紙きれを妹から奪い取ると、大久保は震えた文字を目で追った。

「ガンバレ 大久保嘉人」

 遺書は、そんな言葉から記してあった。

「危篤になる前の日に、おとんとケンカをしたんです」

 5月11日。本拠地である等々力陸上競技場でのセレッソ大阪戦を終えると、大久保は妻と3人の幼い子供を連れて、新横浜駅までタクシーを飛ばした。18時29分発の「のぞみ57号」に乗れば、日が変わる前には実家のある小倉に着く。小走りで新幹線に飛び乗り、指定席に腰を下ろすと「おとん……。何とか間に合ってくれよ」と心の中で祈った。

 父・克博が昏睡状態に陥ったという知らせを受けたのは、4日前のことだった。最後に電話で話したことを覚えている。

「ちょうど危篤になる前の日に、おとんとケンカをしたんです。家のことをガーッと言ってくるから、うるさくてね。俺が『もう、早くいなくなれよ。その方がみんなのためや』って言ってしまった。そうしたら『おう、もう死ぬわ』って言ってきてね。そういうやりとりがあったんです。病院での生活が辛かったんかな。ほぼ毎日、何の用事があるわけでもないのに、俺の携帯に電話がかかってきていたから。面倒になってしまったところもあって。そうしたら、次の日から電話がこなくなった。携帯の履歴を見ても、おとんからの電話(の通知)がパタッとなくなった」

【次ページ】 「俺にもしもの時があっても、試合を優先しろ」

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