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浅田真央は決して言い訳をしない。
最後の全日本も、笑顔で魅了する。
text by
野口美惠Yoshie Noguchi
photograph byAsami Enomoto
posted2013/12/20 10:30
GPファイナル浅田の演技に対して、客席からは喝采とともに多くの花が投げ入れられた。笑顔の裏で、彼女はどれだけの困難を乗り越えてきたのだろう。
ジャンプフォーム改造中、一言も不安を口にはしなかった。
'10年秋からは、佐藤信夫コーチのもとで、滑りやジャンプフォームの大改修に着手した。2シーズンはジャンプフォームが固まらずに成績も伸び悩み、浅田のスランプは大問題かのように報じられた。本来、フォームを直すには数年かかるのが当然なのだが、言い訳はせず沈黙に徹した。ただひたすら「いま信夫先生とジャンプを修正している。少しずつ良くなっている」と繰り返した。
好調を取り戻したのは昨季からだ。
「信夫先生とやってきて、最初は本当にこれでいいのかな、私がやってる方向は合ってるかなと半信半疑で不安もありました。でも最近は先生の求めているスケートが分かるようになりました」
と笑顔を見せた。不調だった2年間は「半信半疑」などという言葉を打ち明けたことは全くなかった。
疲労の限界と痛みの中で手にしたファイナル優勝。
好調だった昨季も、ちょっとした逆境を体験した。GPシリーズ2連勝と波に乗っていたものの11月から腰痛になり、佐藤コーチから練習を止められたが、無理に練習した。腰痛を悪化させて臨んだ'12年GPファイナルの試合当日、あまりの激痛に浅田自らが「腰が痛くてジャンプがコントロールできない」と打ち明けた。
これまでだったら、独りで逆境からパワーを得ていた浅田だったが、その日、背中を押したのは佐藤コーチの言葉だった。
「こんな状態でもどれだけ自分ができるか、『どんなもんだ』っていうのを見せてきなさい」
その言葉に納得し、前向きな気持ちを取り戻した浅田は、トリプルアクセルには挑戦せずプログラム全体を美しくまとめる演技で4年ぶりにファイナル優勝。優勝を決めたあとで腰痛を周囲に打ち明けると、こう話した。
「もう22歳になって身体も子供の時とは違う。疲労の限界が痛みになって出てくるようになっていたんです」
痛みを抱えながらもパワーを発揮する。精神的な強さは健在だった。
そして迎えた集大成の今季。シーズン初戦からトリプルアクセルを解禁し、まだクリーンな成功はないが挑戦し続けている。