野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
さらば! 愛しの湘南シーレックス。
横浜の二軍に何があったのか?
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2010/11/26 10:30
湘南シーレックスのファンフェスタで、「みんなあなたが大好きで賞」を受賞した佐伯貴弘。この日のサプライズゲストとして球場を盛り上げてくれた
<ここは横須賀スタジアム、通称スカスタ。我らが湘南シーレックスのホームグラウンドである。「ベイの二軍だろ」とヌカス輩はそこへ直れ。シーレックスを知らずしてプロ野球を語るなかれ。(中略)この湘南シーレックスは二軍チームで日本初の地域密着、独立採算を打ち出したモデルケースであり、これからのプロ野球が目指すべき理想の姿なのである――。>
……これは、今年の夏。月刊『散歩の達人』(交通新聞社)「横須賀・逗子・葉山特集」に寄せた原稿「がんばれ、湘南シーレックス」の一節である。
ところが、この雑誌が発売された7月21日から数日後、湘南シーレックスは突然、今季限りでの消滅を発表した。筆者が雑誌片手にひっくり返ったことは言うまでもない。
とはいえ、シーレックスの名前が消えてもチームがなくなるわけではない。
来季は横浜ベイスターズのファームチームとして本拠地も横須賀のまま、2000年以前の形に戻るだけ。シーズン終盤に起きた身売り問題での衝撃、新潟やら、静岡やら、京都やらに移転してしまうことを考えれば全然マシな話である。
米マイナーリーグを手本に生まれた「おらが村のチーム」。
湘南シーレックスはアメリカのマイナーリーグのチームを手本に「おらが村のチーム」を目指して2000年に誕生した。
以来11年間、当初目指した独立採算こそ叶わなかったが、球団と地元が連携した実験的かつローカルなイベントには見るものはあったし、地元の社会人チーム日産自動車との定例戦を行い、断絶していたプロアマ交流の先駆けにもなっている。選手は町のイベントに出席し、町の人も一軍へ上がった選手を「俺が育てた」と語るような誇らしい気持ちも芽生えるような関係を築けたのだから、その功績は決して小さなものではなかった。
11月20日。名古屋では50万人を集めたドラゴンズの優勝パレードが行われていたちょうどその頃、横須賀では湘南シーレックスとして最後の公式イベント、「2010シーレックスフェスタ」が行われていた。
二軍でファン感謝デーをやるチームは(数年前に鎌ヶ谷の日本ハムもやっていたが)、シーレックスのみ。このイベントが最後というのも、地域密着を目指したシーレックスらしいといえばらしい。