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<現役復帰の真相を語る> 小笠原(旧姓・小野寺)歩 「あらゆる出来事が再出発のためだった」 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byKiyoaki Sasahara

posted2010/10/21 06:00

帰ってきた。ついに戻ってきた。
4年前、トリノ五輪の活躍で日本中にブームを巻き起こした
カーリング日本代表を率いたスキップは、
その後休養の道を選んだが、現役に戻る決意をした。
今ここに、復帰への経緯と決意を語る。

 その姿は、歳月のたしかな流れを思わせた。

 お腹にまだ小さな、小さな赤ん坊を抱えていた。あやすようにわが子に向けられたのは、優しい笑顔だった。

 2006年のトリノ五輪は荒川静香の金メダルで記憶されるが、それに劣らぬ関心とブームを起こしたのはカーリング日本代表「チーム青森」である。チームのスキップ(主将)であり、中心にいたのが小野寺歩だった。

 以前なら想像できないほどカーリングの認知度が高まった今日への発火点となり、道筋をつけた小野寺は、トリノ後、盟友、サードの林弓枝とともにチーム青森を離れ、北海道で休養の形をとった。

 あれから4年と半年が流れた。

 結婚を経て一児の母となった小野寺歩は小笠原歩として、やはり一児の母となった船山(旧姓林)弓枝とともに復帰を決意した。

 休養の中でも、小笠原は各地で講演活動などを行なう中で、常に言い続けてきた。

「いつかは復帰します」

メダリストの多くが結婚・出産を経て復帰していた。

「いつかは」について、小笠原には思い描くイメージがあった。4年間、オリンピックのために懸けてきて、臨んだトリノ五輪ですべてを出し切り、それでもメダルに届かなかった。足りないのは何か、次を目指すときに必要なのはと考えたときに感じたのは、技術ではなく精神的な強さだった。そして一つの思いに至った。

「メダリストの人たちを見ると、一回休んで、結婚して母親になって戻ってきている選手ばかり。それが強さになっているのかなと感じたし、自分もいつかそういう状況でやってみたいとあのとき思いました」

 ともに北海道に戻った船山とも、考えは一致していた。

「年齢的なこと、結婚、出産、長く続く人生のことを考えたんですね。カーリングは長く続けられる競技ですし、次のオリンピックよりまずは自分の人生の基盤を作ってからでも遅くないよねという話をよくしました」

 やがて2人は出産する。小笠原は昨年の8月、船山は11月。ほぼ同じような時期である。復帰する時期を意識して? と尋ねると、苦笑した。

「トリノの直後につくって、手のかからない状態で復帰するのが理想といえば理想だったかもしれませんが、まったく意識していなかった」

 実際、子育ては大変なものだった。他のことを考える余裕もなくなり、「こんな状態でカーリングなんてできない」、そう感じる日もあった。

 だが今、復帰は現実のものとなった。そこにはひとつのきっかけがあった。

<次ページへ続く>

【次ページ】 チーム青森の仲間に背中を押された新チーム立ち上げ。

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