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<マラソン日本記録保持者の教え> 高岡寿成 「走るとは“組み立てること”である」 

text by

高川武将

高川武将Takeyuki Takagawa

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posted2012/09/13 06:00

<マラソン日本記録保持者の教え> 高岡寿成 「走るとは“組み立てること”である」<Number Web>
「身体だけでなく、頭も使って走りたい!」
そんなランナーの皆さんに向けて、
雑誌Number Do『大人の山登り。~ゼロから楽しむ入門編~』では、
「走る」を自分なりのやり方で追い求めてきた、
日本記録保持者、大学教授、そして作家の思考法を特集しました。

今回は、その中から、30歳を過ぎて初マラソンの舞台に立ち、
日本マラソン史に名を刻んだ高岡寿成さんの“教え”を公開します。

 2時間6分16秒――。

 10年前に高岡寿成が樹立したマラソンの日本記録は、いまだに破られていない。

 最も速く42.195kmを駆け抜けた日本人はどのような考えの下に、練習を積み、レースに臨み、そして結果を残したのだろうか。

 現在はカネボウのコーチを務める高岡を、チームが合宿を組む菅平高原に訪ねた。

 トラックを専門にしていた高岡がマラソンに転向したのは、2001年秋のことだ。31歳を目前にしての遅いスタートだった。

 ほぼ無名の選手だったが、龍谷大4年時に5000mで日本記録を出し、一躍注目を浴びる。
'93年にカネボウ入社。当初、伊藤国光監督(現専修大監督)と決めた目標は、長距離種目の日本記録を破ることと、五輪の金メダル獲得だった。

 予選落ちに終わるが'96年アトランタ五輪で1万mの代表となると、'00年シドニー五輪では5000m、1万mに出場して、1万mで7位入賞。五輪の男子1万mでの入賞は日本人4人目の快挙でもあった。

 '01年には中山竹通の持っていた1万mの日本記録を14年ぶりに更新。27分35秒09は今でも残っている。

 マラソンに転向して、わずか2度目のレースだった'02年10月のシカゴマラソンで日本最高記録を樹立。その後も、3レース続けて2時間7分台をマークするなど抜群の安定感を誇った。トラックでスピードを窮めてから、マラソンに転向して成功する先駆者となった軌跡だけを見れば、いかにも戦略的にランナーとしての道を歩んできたかに見える。だが、実情は少し異なる。

トラックからの転向を申し出たら、「考えが甘い」と叱られ……。

「順調に見えるかもしれないけど、僕はひ弱なランナーだったんです」

 高岡は、そう笑うと、関西人らしいテンポのいい口調で話した。

「実はアトランタ五輪の直後、伊藤監督に、マラソンをやりたいと申し出たんです。カネボウに入った頃からマラソンはやりたいと思っていたし、トラックでは世界で勝負できないと思っていた。でも、考えが甘いと監督に叱られて……(苦笑)。もちろん世界で一番を目指す上での話なんですけど、トラックでどこまで勝負したのか、トラックが駄目だからといってマラソンをやっても、簡単には走れない。一流じゃなく超一流を目指そう、と。30歳でマラソンに転向する例は、日本人にはなかっただけで、スペイン勢をはじめ海外には何人かいた。シドニーではトラックで入賞を目標にして、アテネでマラソンで金メダルを目指そうという方針になったんです」

【次ページ】 長い距離で追い込めず、ケガがちの“ひ弱なランナー”。

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