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<文武両道で初のセンバツへ> 宮崎西高校 「弱小野球部の“とんでもない快進撃”」 

text by

日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

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photograph byKentaro Kase

posted2012/03/17 08:02

<文武両道で初のセンバツへ> 宮崎西高校 「弱小野球部の“とんでもない快進撃”」<Number Web> photograph by Kentaro Kase
片田舎の公立進学校が、初の甲子園出場を決めた。
野球より学業が優先され、練習時間は極端に短い。
当初、惨敗を重ね続けた弱小チームは、いかにして
遠い夢だった大舞台への切符をつかんだのか。

 東京大学硬式野球部の四番に座っていた高山久成は、目を疑った。

 昨年の10月初旬。母校・宮崎西高の野球部監督、兒玉(こだま)正剛(タイトル写真右)からのメールに「今、秋季県大会の準決勝です」という一文があったからだ。

 西高が県大会でベスト4――?

 高山にとって、それは既に「とんでもない快進撃」だった。

 県内屈指の進学校である県立宮崎西高は、部活動も活発だ。だが、野球部が県大会でこれほどの上位に入ったことはない。

「全校集会で放送部や水泳部なんかはよく表彰されてたけど、僕らは全然ステージに上がれなくて。正直、存在感は薄かった」

 高山がそう回想する西高野球部の快進撃はさらに続き、ついに創部36年目にして初の甲子園行きを決めた。

 公立進学校の弱小野球部に、いったい何があったのか――。

宮崎県下一の秀才が集まる進学校ゆえの「悲しい宿命」。

 高山を驚かせたメールを送る3カ月ほど前、兒玉は途方に暮れていた。

「かなり期待しとったチームだったんですよ。県の1年生大会で準優勝してね」

 そう振り返るのは、昨年夏に引退した3年生チームのことである。最後の夏、県大会2回戦で終盤8回に5点を失い、逆転負けで涙を呑んだ。兒玉が西高に赴任して7年目。またしても、期待は泡と消えたのだった。

「それまでレギュラーはみんな3年生でしたから、新チームはゼロどころかマイナスからのスタート。どこと練習試合をやっても、もうコテンパンにやられた。とにかく失点を防がんことには、話にならん」

 秋の公式戦に向けて、まずは守備を固めよう。チーム作りの方針は決まった。だが、方針通りに強化を進められないのが、西高野球部の哀しい宿命である。

窓際の席で、苦手だという数学の授業に臨む理数科の原田。学年末テストの出来は「微妙」。      

 宮崎市西部の高台に位置する西高は、1974年に設立された。普通科と理数科から成り、国公立大学に毎年250名前後が現役で合格、東大合格者も年平均10名は出している。特に理数科は、県下一の秀才が集まることで知られ、旧帝大や医学部への進学者も多い。

 授業は、7時30分開始の朝課外から7限目までの8時間。そのため、授業を終えて練習が始められるのは夕方5時過ぎになる。それに加えて、通称「三・四・六」(サン・シ・ロウ=平日3時間・土曜4時間・日曜6時間)と呼ばれる、自宅学習の時間目標が掲げられており、7時20分には下校させられる。グラウンド整備などの時間を差し引くと、練習時間はわずか1時間半程度しかない。

 レギュラー唯一の理数科で、「東京六大学で野球がしたい」という原田大暉捕手(タイトル写真左から2人目)が嘆く。

【次ページ】 野球か、勉強か、どっちかに絞りたいけど、それは無理。

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