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悔しさを噛みしめる中島が見せた
無言の“意思表示”。
~屈辱のポスティング後、西武では~ 

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永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2012/03/09 06:00

悔しさを噛みしめる中島が見せた無言の“意思表示”。~屈辱のポスティング後、西武では~<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

守備練習に励む中島。キャンプの出陣式では「また一から、キッチリやりたい」と語った。

 ヤンキースは罪作りなチームだ。

 遊び半分としか思えないポスティングをし、権利を得た後は西武の中島裕之に屈辱的な条件を提示した。エリート街道を歩き続けてきた男にしてみれば、かつて経験したことのない敗北だった。

 昨季は2割9分7厘、16本塁打、21盗塁、100打点を上げ、CS出場の立役者となった。この実績を引っさげてアメリカ挑戦のはずが、現状維持で古巣と再契約をしなければいけなかった中島の気持ちは、いくばくのものだろうか。キャンプ序盤、雨の宮崎・南郷の室内練習場で中島に、“吹っ切れた?”と尋ねると、“過ぎたことですから”と視線を落とした。

 秋季練習では、4年目の浅村栄斗が、“中島が抜けた遊撃”として期待され、徹底的に鍛えられていた。中島自身もかつて同じような経験をしている。主力だった松井稼頭央(現楽天)のメジャー移籍に際して、遊撃に抜擢コンバートされたのだ。この頃、土井正博ヘッドコーチが、当時の伊東勤監督に「我慢して使ってください」と何度も頭を下げていたという。

松井、中島、浅村と続いていく西武遊撃手の系譜。

「最初は守備だって下手くそだったが、使われ続けているうちに型になって来た。バッティングも同じだ」と土井ヘッド。

 中島は、同じ関西出身ということもあり可愛がっていた8歳年下の浅村に、愛用のグラブをプレゼントしている。松井稼が西武を去る時、「西武の伝統を受け継いでくれ」とグラブを中島に託したことをそのまま実行したのだった。

 中島の残留を受けてチームは“三塁・中島、遊撃・浅村”という構想を描いた。将来を考えると、この布陣が効率的であることは自身が一番わかっていた。ところが、キャンプ初日、土井ヘッドはある光景を目撃する。

「守備練習の時、中島は躊躇なく遊撃のポジションに向かったんですよ。本人とすれば西武の遊撃はまだ俺だという意思表示なのかもしれない」

 中島は以前、コンバートについてこんな風に話していた。

「ショートは与えられたポジションなんです。松井さんが元気なうちに奪えなかった、という悔いが残っている」

 遊撃の練習をする中島の姿勢は、浅村へのメッセージだろうか。

 雨の南郷で、“今度は、日本一を置き土産に再挑戦だね”と聞くと、中島はニッコリと笑って、何も答えずに守備練習へと向かった。

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