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<アテネ五輪から読み解くその哲学> 中畑清 「観られることでオレたちは変わる」 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

PROFILE

photograph byTaihei Ohara

posted2012/02/17 06:01

その信条は、「プロは観られてナンボ」。就任直後から積極的に
話題作りに力を注ぎ、メディアを大いに賑わせるハマの新船長は、
4年連続最下位に沈む球団をいかにして浮上させようと
目論んでいるのか。日本代表を率いた五輪での経験を軸に、
“中畑流”チーム作りの核心を聞いた。

 観られることは人を変える。

 選手・中畑清が注目を集めるきっかけになったのは、1978年オフにシンシナティ・レッズを招いて行なわれた日米野球だった。

 プロ3年目。まだ控えの内野手だった中畑は、途中出場した第1戦の8回にレッズのリリーバー、マリオ・ソトから左翼席に2ランを放った。この一撃で当時の巨人監督だった長嶋茂雄の目に留まるのだが、もう一人、中畑の独特の資質に注目した人物がいた。

 当時、レッズの指揮を執っていた名将、スパーキー・アンダーソンだった。実はスパーキーが注目したのは、中畑の本塁打だけではなかった。三塁守備の溌剌としたパフォーマンスを、ずっと注視していたのだ。

「あの三塁手はハッスルしてファイティング・スピリットに溢れているのがいい。バッティングは荒削りだけど、ぜひ使うべきだ」

 試合後のスパーキーの“進言”に長嶋は大きく頷き、そこから中畑は巨人の中心選手への階段を昇り始めるわけである。

「短時間でこのチームを勝てる形にするには、単純な組織論ではダメ」

「人に観られること、注目を集めることがどれだけ大事かってこと。プロは観られてナンボの世界。誰からお金をもらっているのか。今はオレが営業部長をやっているけど、シーズンになったら選手たちがそういう意識を持つことが大切だと思うよ。その大切さを分かることも、このチームが浮上していくきっかけになると思っている」

 DeNAの初代監督・中畑清は、就任直後から積極的に話題作りに力を注ぎ、結果として中畑とDeNAは今オフ、球界で最もメディアに露出することとなった。そしてそうした中畑の行動のすべては、DeNAが置かれる厳しい現実を乗り越えるための一歩だった。

 4年連続最下位――これだけ負け続けたチームは、2リーグ分立後のセ・リーグでは1954年から6年連続の大洋と1998年から4年連続の阪神の2チームしかない。それだけ負け続けてきたチームを2年間の契約期間で、いかに立て直すか。中畑流のアプローチは、メディアへの露出も含めてチームの意識改革から始めることだった。

「短時間でこのチームを勝てる形にするには、単純な組織論ではダメだと思っている。組織作りというより、いかに首脳陣と選手が心を一つにした“一家”を作っていけるかだ」

 その“一家”作りのヒントとなる戦いがある。2004年のアテネ五輪の日本代表、いわゆる長嶋ジャパンを率いた戦いだった。

<次ページへ続く>

【次ページ】 中畑流のチーム作りに一貫するものとは?

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