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“困ったときの守道頼み”
地元主義でファンを呼ぶ。
~高木守道&権藤博コンビの強み~ 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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photograph byKYODO

posted2012/01/30 06:00

“困ったときの守道頼み”地元主義でファンを呼ぶ。~高木守道&権藤博コンビの強み~<Number Web> photograph by KYODO

 8年間で5度の日本シリーズ出場を果たしながら、事実上の“解任”となった落合博満の後を受けて、中日の監督に就任したのは、70歳の高木守道。結果を残した監督の後任はやりにくくないですか、と尋ねると「形が出来ているチームの方が一から作り直すよりもやり易いじゃないですか」という答えが返ってきた。気負いもなく肩の力が抜けた姿勢に、枯淡の境地すら感じてしまう。

 岐阜商時代、センバツで準優勝を果たした高木は中日に入団すると、1年目から俊足・巧打の二塁手として活躍。通算2274安打を放った。代理監督を含めてこれまで2度、中日の監督を務め、“困ったときの守道頼み”と言われてきた。今回の就任も、落合解任をめぐる批判に対しての格好の風よけという声もあった。

 そんな状況の中、就任後は、名古屋の財界をはじめ、球団の後援会の人たちと気軽に接して交流を図るなど、前監督が全くしようとしなかったことを実践している。こういった手法は、福岡に赴き、ダイエー(当時)の監督となった王貞治のやり方と似ている。かつて王は「地元の人に愛され、地元に育てられた選手が活躍したとき初めて、一体感のある強さが生まれる」と語り、地方色の強い球団はただ勝てばいいわけではないことを説いていた。

東海人の気質を知り抜いた高木、権藤のコンビ。

 生粋の名古屋人である高木は、年頭に開かれた編成会議でも「今年のドラフトは地域限定の人選でいく」ことを決めた。投手コーチに選んだのは、各地を転々としながら望郷の念を持ち続けていた権藤博、73歳だった。“権藤、権藤、雨、権藤”と言われ、入団直後の2年間に連続30勝を挙げた大エースは引退後に中日、近鉄、ダイエーでコーチを務めた。'98年には、監督として横浜を38年振りの優勝に導いている。今年の年賀状に「野球人、ユニフォームを着てナンボ」と、その決意を記していた。

 その権藤が中日のコーチ時代に仕えて優勝した近藤貞雄(故人)監督はかつて「その土地の気質に合った野球をしなければファンもついてこない」と言っていた。井手峻球団取締役が作り上げた70歳コンビは、酸いも甘いも噛み分ける年齢を超えているだけでなく、東海人の気質を知り抜いている。そんな二人のチーム作りに、地元の期待は大きい。

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