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“無職男”河原純一、執念の復活。
~年俸600万円のポーカーフェイス~ 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2009/07/15 12:10

“無職男”河原純一、執念の復活。~年俸600万円のポーカーフェイス~<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

 ちょっと大袈裟かもしれないが、河原純一の最盛期の投球を見ているような気がした。

 7月5日の巨人戦、古巣を相手に7回から登板した河原は、坂本勇人、鈴木尚広を難なく打ち取る。圧巻だったのは3番・小笠原道大への投球だった。2球連続でフォークがボールになった後、3、4球目はストレートが決まりカウント2-2。そして5球目、3度目のフォークで見事三振に仕留めた。5球とも全て外角だった。

 谷繁元信の好リードがもたらした結果なのも事実だろう。だが、試合は終盤でチームのリードはたったの1点。緊迫した場面で、河原は往年のポーカーフェイスとマウンド度胸で脅威の上位打線を料理した。

 巨人の守護神を務めた2002年、最終回のマウンドで躍動する彼の絶頂期の投球を、この回、思い出した。

修羅場をくぐり抜けてきた男によせる落合監督の信頼。

 試合後、監督の落合博満はこう言っている。

「1軍の修羅場をくぐってきた選手。あそこで任せられるのは他にいない」

 中日に移籍後、初のお立ち台に上がった河原は、「いつぶりですかね? 巨人時代以来ですかね」と珍しく相好を崩した。それもそのはず、昨年までの彼は、守護神以上の修羅場をくぐってきたのだから。

 '07年、右膝の故障の影響もあり西武から戦力外通告を受けた。とはいえ、まさか、あの河原が合同トライアウトを受けるとは思っていなかった。他の選手には悪いが、河原にそんな場所は似合わない、とすら感じていたからだ。

 現に、合同トライアウトでは、知名度とそれ相応の実績を残した選手が来ることはあまりない。この年でいえば、千葉ロッテの黒木知宏や横浜の種田仁は姿を見せなかった。それまで1軍で結果を出していたのなら、他球団からの誘いを黙って待つのもひとつの手段だ。そんな傲慢さが少しくらいあったっていいだろう。

故障から、戦力外通告、合同トライアウト、1年間の浪人……。

 河原は'07年のオフ、合同トライアウトのマウンドに上がった。打者5人に対して、2三振を含むノーヒットに抑える好投。11月下旬にもかかわらずボールにはスピードと切れがあった。減点要素を挙げるとすれば1つの四球だけだった。

 しかしトライアウト後、河原はファンからの激励の言葉とプレゼントを元気なく受け取り、「母校の駒澤大学で練習をしながら結果を待ちます」と、その場を後にした。

 結局、膝の状態が懸念され、どの球団も河原に声をかけることはなかったが、「膝が治れば絶対にできる自信がある」と、“浪人生”としてトレーニングを続けることを決意する。

 35歳の河原純一は翌年、無職となった。

 その“無職男”に救済の手を差し伸べてくれたのが、中日の落合監督だった。その目で河原の復活を確認した指揮官は、'08年の冬に行われた入団テストの数日後、獲得を決める。

 いくら実績があるとはいえ、プロでの1年間のブランクは大きい。他チームのラインナップは変わるし、何より実戦感覚が失われているのが最大のネックといえよう。当然、シーズンは2軍スタート。ようやくチャンスが巡ってきたのは5月24日の日本ハム戦。1対0と僅差の8回にマウンドへ上がり、見事、無失点に抑えた。河原の好リリーフに落合監督は、「大きな収穫」と手ごたえを掴んだ。

<次ページに続く>

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