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イングランド元代表監督、
故ボビー・ロブソンの「情熱と意志」。 

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山中忍

山中忍Shinobu Yamanaka

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photograph byPanoramiC/AFLO

posted2009/08/17 11:30

イングランド元代表監督、故ボビー・ロブソンの「情熱と意志」。<Number Web> photograph by PanoramiC/AFLO

選手としてはフルハムやウエストブロムウィッチでFWとしてプレー。問題児と言われる選手からも慕われる人間味あふれる監督だった。

 去る8月1日、ブランチに呼ばれていた筆者は、北ロンドンに住む知人宅を訪れた。ところが、出迎えてくれた知人の表情が暗い。「喪に服しているんだ」と。通された居間のテーブルには、その日の『タイムズ』紙がある。第1面には、前夜に他界したサー・ボビー・ロブソンの写真。享年76歳。17年近い癌との闘いに敗れての最期だった。

「情熱と意志」で弱小チームを優勝に導いた。

 知人はサフォーク州(イングランド東部)出身だった。ロブソンと言うと、国際的には、W杯で好成績を残したイングランド代表監督(1982-90年)、またはプレミアシップ人気が高まってからのニューカッスル監督(99-2004年)としてのイメージが強いかもしれない。だが国内では、サフォーク州の雄、イプスウィッチ・タウン(現2部)をFAカップ優勝(78年)とUEFAカップ優勝(81年)に導いた監督としても有名だ。

 当時の様子を聞くと知人は言った。

「よく試合や練習を観に行ったが、サー・ボビーは選手よりもサッカーが好きなんじゃないかと思えた。その表情や身振り手振りに、彼の情熱が溢れ出ていたように思う。ファンにも気さくに接してくれて。あの頃は町全体にも活気があったなぁ。単に強いだけではなく、ユース出身者の多いチームだったから、イプスウィッチが勝つと本当に自分たちが勝ったような気分だった」

 ロブソンは「情熱と意志」の監督だった。

 ロブソンは以前、ドキュメンタリー番組の中で、短命(9カ月)に終わったフルアムでの監督初挑戦を受けて、イプスウィッチでは何が何でも自らの意志を貫いて契約を全うする覚悟だったと述べていた。スタメン落ちに激怒したベテラン選手と殴り合ってまで、自らの人選を押し通したこともあったらしい。だからこそ、クラブの生え抜きを主力とするチームが出来上がった。ロブソンが監督を務めた69年からの13年間で、イプスウィッチが他クラブから獲得した選手はわずか14名。この数字は、金に物を言わせてチーム作りに躍起になっているマンチェスター・シティが、過去1年間で買い集めた新戦力の数よりも少ない。

名監督の評価が一転、「卑怯者」呼ばわりへ。

 イングランド代表にステップアップしてからのロブソンを支えたのも、情熱と意志の力に他ならない。さもなければ、マスコミが敷いた針の筵の上で8年間も過ごすことなど不可能だったはずだ。

 代表監督としての評価は出だしから最悪だった。重鎮記者の1人であるブライアン・グランビル氏は、元代表監督への追悼記事(8月2日付け『サンデー・タイムズ』紙)の中で、ロブソンの初戦を「あり得ない人選で、戦術も稚拙で、状況に対応する柔軟性もない……」と報告したと記している。そして84年のEUROでは予選敗退。1度目のW杯(86年メキシコ大会)こそ、ディエゴ・マラドーナの「神の手」ゴールと「神業(5人抜き)」ゴールによるベスト8敗退に同情もあったが、続くEURO88ではグループ最下位に終わってしまう。

 その結果、90年イタリアW杯前には、「能無し」、「うすのろ」といった屈辱的な見出しと共に、ロブソン退任を求める記事が各紙のスポーツ面を飾る有様だった。さらに悪いことには、イングランドFA(サッカー協会)に契約更新の意思がないと悟って承諾したはずのPSVとの監督契約(W杯終了後から)が、裏切り行為と見なされてしまう。愛国心も人一倍のロブソンが、あろうことか「卑怯者」呼ばわりされながらのイタリア入りとなったのだ。

<次ページに続く>

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