レアル・マドリーの真実BACK NUMBER

銀河系軍団の終焉。 

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木村浩嗣

木村浩嗣Hirotsugu Kimura

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photograph byMarcaMedia/AFLO

posted2006/03/08 00:00

銀河系軍団の終焉。<Number Web> photograph by MarcaMedia/AFLO

 「マドリーには変化が必要だ。今が会長を辞めるのに最適だと判断した」

 2月27日夜、フロレンティーノが切り出した瞬間、銀河系軍団は過去のものになった。これで本当に終わりである。

 ここで連載を始めたのがベッカム獲得、つまり銀河系誕生の年だったので感慨が深い。振り返ってみれば、褒めたことよりもけなしたことの方が多かった。

 ベッカム獲得とアジアツアーの行き過ぎた商業主義、攻守バランス無視のいびつな補強方針「ジダンたちパボンたち」(攻撃陣にスーパースターを獲得し守備陣を生え抜きの若手で賄う)、資質を無視したベッカムボランチの無茶、わがまま退場と無気力プレーで5連敗の体たらく……ここまでが銀河系1年目。

 オーウェン獲得の銀河系的発想、「選手に支持されないから」とカマーチョ電撃辞任、フォワード5人をプレーさせたガルシア・レモンの暴挙、鬼のルシェンブルゴの来襲、反則増加で戦う集団の証明、ロナウドの人気依然として低迷……ここまでが銀河系2年目。

 そして3年目の今シーズンは、守備陣の補強で攻守バランス改善、不思議な魔法陣でルシェンブルゴが大見得、ベッカム様大活躍、ゴキブリポーズの悪ふざけ、バルセロナに拍手して学び、ルシェンブルゴはついに解任、ブラジル軍団は迷走を始め、問題児を獲得、ロペス・カロ効果が出始めたらサラゴサに大敗、ホアニートの魂で団結した直後に崩壊──。

 アップダウンを目まぐるしく繰り返した銀河系軍団の2年半だった。安定した成績を残したのはケイロス時代の2月まで、ルシェンブルゴ時代の2005年1月から5月(2月中旬から3月中旬を除く)くらいしかない。ことに最近のレアル・マドリーはまったく予測不能だ。強いのか弱いのか試合が始まってみなければさっぱりわからない。

 この不安定ぶりの謎を解くヒントが、フロレンティーノのお別れ会見に隠されていると思う。これまで誤りを公で認めてこなかった男が、初めて反省を込めて語った言葉は非常に誠実に響いた。特に注目させられたのは、思い上がった選手がいてチームに亀裂があることをはっきり認めた点だ。

 「ある選手たちは勘違いしている」、「セルヒオ・ラモスの発言は理にかなっている」(2月27日のマジョルカ戦でラウール、エルゲラ、ミッチェルがラモスのゴールを冷やかな態度で受け止めたこと)、「勘違いを解くどころか、逆に甘やかしてしまった」、「マジョルカの選手たちのようにゴールを祝って欲しい」(チーム一体となって喜ぶこと)。その後のインタビューでは「選手たちは勝ち過ぎて気が緩み、集中していなかった」と補足している。

 レアル・マドリーのロッカールームは“世界一操縦が難しい”という噂は常にあった。

 規律とプロ意識に欠ける選手たち──カマーチョ辞任の原因となったロベルト・カルロス、ジダン、フィーゴとの対立、ゴシップ雑誌を賑わし続けた度重なる夜の交遊、ロナウドのパリの古城で結婚披露宴まがいに出席した選手とフロント、アーセナル戦の直前にファンに愛されないことを嘆いたロナウド……。ロナウドとラウールの不仲を頂点とする団結の不在──ブラジル軍団だけでゴールを祝うゴキブリポーズ、ラウールの「チームより自分のことを考えた」というロナウド批判、セルヒオ・ラモスの控え組批判、「彼の発言は我われの関係を悪化させただけ」とラウールに言い返したロナウド……。

 マジョルカ戦でのセルヒオ・ラモスのゴールに対する反応は氷山の一角に過ぎないが、それが不幸にもテレビカメラでとらえられ、最近のロナウド、ラウールの発言と合わせてチームの惨状が誰の目にも明らかになり、さすがにいたたまれなくなったのだろう。

 心が壊れたチームは、逆境に踏ん張れない。

 物事がうまく回転しているうちは誰もが気持ちよくプレーし、銀河系軍団がそのあり余る才能をのびのびと発揮するが、一度つまずくと嫌なムードが広がりガタガタと崩れ落ちる一方で歯止めが利かない。これは監督なら誰もが経験していることではないか。

 最悪なのは、責任回避、無関心の冷たい空気が生まれることだ。不仲で言い争いをしているうちはまだいい。喧嘩をするのは勝利に対するこだわりがある証拠だ。それすら通り越して「俺のせいではない」、「私には関係ない」という感情が少しでも生まれると、それはプレーに確実に悪影響を与える。走るべきところで走らず、当たるべきところで当たらず、足を出すべきところで出さず、ジャンプすべきところでせず……。

 リードされ、悪天候にさらされ、体力も消耗している──そういう苦境では「自分のためだけ」では頑張れない。自分の利益だけを考えるのならケガをしないように「流す」のが賢いという判断も成り立つからだ。「自分が向上するために周りがどうあれ最善を尽くす」という考えもあるだろう。が、悲しいかな集団のスポーツであるサッカーでは、チームメイトの協力抜きで自分だけが力を発揮することは難しい。いくらフォワードで頑張ってもパスが来なければそれまでなのだ。そのうちに諦めて「まあいいか、俺のせいではない」となる。無気力、無関心はこうして伝染する。

 心がバラバラの今のレアル・マドリーは、試合前には「戦う集団」にはなり切れていない。先制点(試合開始直後ならなお良し)とファンの声援に後押されて「選手が団結する」という一手間があって、初めて戦闘態勢が整う。国王杯のサラゴサ戦第1レグの大敗、第2レグの大勝は、気分次第で最弱にも最強にもなれる現在のチーム状態を象徴するようなゲームだった。「調子に乗ると手がつけられないこと」は「調子に乗らないとたいしたことはないこと」と紙一重なのだ。3月4日、絶好調のアトレティコ・マドリーを破った試合ではカッサーノの先制ゴールが決定的だった。もしノーゴールの状態が30分以上続いていたら、ベルナベウの大観衆から湧き起こっただろうブーイングに耐えられたかどうか。

 ちなみにカッサーノ、ロナウド、ラウールの誰が起用されても、少なくとも心理的には大差無いと思う。フロレンティーノの批判を受けて「ロナウド=悪者、ラウール=正義の味方」と解釈する報道もあるが、セルヒオ・ラモスのゴールを一番喜んだのはロナウドであり、ラウールの乾いた拍手はミッチェル・サルガドとエルゲラの無反応よりは少々マシというだけ。それよりも、ロペス・カロの目指すサッカーが機能するには、ワントップが動けることが不可欠だから、フィジカル面でもモチベーション面でも一番走れる状態にある者を選ばねば、アーセナル戦の勝ち目は無いと断言できる。

 フロレンティーノが去り、「もう銀河系という言葉は使って欲しくない」とラウールは要請し、「大金持ちのクラブはいらない」と新会長フェルナンド・マルティンが断言して、華やかな銀河系の時代は終わった。残されたのは大改革を前にした過渡期の数カ月と、ガラス細工のように脆いハートでかろうじて繋ぎ止められたスーパースターたち。銀河系の産みの親のショッキングな辞任が、その絆を果たしてどれだけ強くしたのか?今さら「仲良しになれ」とは言わない。胸のエンブレムを泣かさぬ各々の意地とプライドだけを期待したい。

レアル・マドリー

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