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指たてふせが生んだシュート力 

text by

小尾慶一

小尾慶一Keiichi Obi

PROFILE

photograph byNBAE/gettyimages/AFLO

posted2006/06/02 00:00

 まずは、個人的な話をひとつ。学生時代、NBAを題材にしたテレビゲームにはまっていた。そのゲームでは架空の選手を作成できたので、面白半分に、213センチのシューターを作った。友人によく言われたものだ。「それ反則だろ。そんなやつ、いるわけないよ」

 いるのだ、今のNBAには。

 2年前、『シュピーゲル』(ドイツの週刊誌)のウェブ記事上で、ダラス・マーベリックスのスターフォワード、ダーク・ノヴィツキーはこうコメントした。

 「才能豊かな14歳の選手を探すのは簡単だ。でも、その少年をNBA選手に育て上げるのは、ものすごく難しい。(人生のある時点で)自分の助けになる、しかるべき人に出会わなければならない」

 彼は、“しかるべき人”に出会った。そして、それが非常にユニークな人物だったため、ノヴィツキーはNBA史上まれに見るユニークな存在──213センチのサイズと最高級のシュート力、スモールフォワード並みのスピードとボールハンドリング能力を持つ選手──となったのである。

 ノヴィツキーは、1978年6月19日、ドイツのヴュルツブルクで生まれた。父親がハンドボールの選手、母親がバスケット選手というアスリート一家で育ち、シカゴ・ブルズ全盛期の90年代初頭にバスケットボールをはじめた。

 元ドイツ代表チームの主将、ホルガー・ゲッシュウィンドナーとの出会いは、ノヴィツキーが16歳の時。技術的には未熟だが、溢れんばかりの才能を持つやせっぽちの少年に、ホルガーはほれ込んだ。個人コーチを買って出る際、ホルガーはノヴィツキーの両親をこう説得したという。「ドイツ最高の選手になりたいのなら、今やっていることをそのまま続ければいいでしょう。でも、世界有数の選手になりたいなら、システムに沿って鍛え上げなければなりません。明日からでも、始めねば」(上記『シュピーゲル』の記事から引用)

 ホルガーのトレーニングは常識はずれだった。シュート力をつけるために“指立て伏せ”を、ステップワークを鍛えるために、階段を片足でぴょんぴょん跳んで登らせた。相撲取りがするような股割りもやらせていたという。さらに、数学や物理学を学んだ経験を活かし、最適なシュート軌道をコンピュータで計算。その通りにシュートが打てるように、シュートフォームを徹底的に矯正した。

 特訓の成果は、3年後、98年のフープサミット(全米高校選抜と20才以下の世界選抜が対戦するエキジビジョンマッチ。日本の田臥勇太も99年に出場した)で世界に知れ渡った。33得点をあげ、全米チーム撃破の立役者になったノヴィツキーは、同年のNBAドラフトで9位指名を受ける。19歳だった。

 その後の活躍は周知の通りだが、ここ数年は特に、MVP級の活躍を見せている。今季の平均得点は、26.6点(NBA7位)、3ポイント率は40.6%。フリースロー率は、何と、90.1%(同4位)に達した。2月のオールスター期間中に行なわれた3ポイントコンテストでも、見事に優勝。オールNBAファーストチームにも選ばれた(米国内の高校・大学に通ったことがない選手としては、初の選出)。ディフェンスやゴール下のプレーなど、克服すべき弱点はあるが、27歳のノヴィツキーは確実に進化している。

 チームも好調だ。球団記録タイとなる、シーズン60勝。プレーオフにおいては、2回戦で優勝候補のサンアントニオ・スパーズを粉砕し、ベスト4に駒を進めた。原稿を執筆している現在、カンファレンス決勝が行なわれているが、これに勝てば、いよいよNBAファイナルだ。

 型破りのコーチが生み出した、型破りなオフェンス型選手。ホルガーが理想とするシュート軌道を、ファイナルの大舞台で描くことができるだろうか。

シューター&シンガー

ノヴィツキーのクラシックロック好きは有名だ。彼のiPodにはお気に入りの曲──AC/DC、レッド・ツェッペリン、ザ・ローリング・ストーンズなど ──が詰め込まれているし、自身も、ギターを弾き、歌を歌う。先日のスパーズとの試合では、勝負どころのフリースローで、心を落ち着かせるために、デビッド・ハッセルホフの“Looking For Freedom”を口ずさんだという。9割を超えるフリースロー率の秘密が音楽だったとは意外だが、これでもうひとつ、ゲームを見る楽しみが増えた。今後は彼の唇の動きにも注目である。

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