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遅咲きの和製大砲、多村仁が開花した理由。 

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永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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posted2005/05/26 00:00

 横浜が今季初めて巨人を3タテしたのは、ゴールデンウィークの真っ最中。その主役を果したのが、3試合で9打点を挙げた多村仁だ。“ハマのライオン丸”の異名を持つ11年目の遅咲き選手である。多村が頭角を現わしたのは昨年。プロ入り初めて規定打席に達し、球団史上、日本人選手として初の40ホーマーを放った。

 「すっかり自信をつけてしまったな」と多村の活躍を羨ましそうに見ていたのが、巨人の斉藤宜之。横浜高時代の同級生である。この年代は、春夏の甲子園で早々と敗退しているが、渡辺元智・横浜高監督は今でも「チームはバラバラだったが、素材だけなら、(松坂)大輔の代より上だったかもしれない」と言う。多村、斉藤は、紀田彰一('94年横浜ドラフト1位)とクリーンアップを組み、投手にはエースの矢野英司(楽天)と、控えに1年下の横山道哉(日ハム)がいた。実際、松坂世代は4人がプロ入りしたが、多村の代は、5人の選手がプロ入りを果している。当時の多村は憧れの選手について「メジャーの盗塁王、R・ヘンダーソン、目指すは大型トップバッター」と言っていた。

 足があり、肩が強い事もあり、当時のクリーンアップの中では、デビューが一番早いだろうといわれていたが、いつも故障がち。'97年の右肩手術では2年間を棒に振ってしまっている。その間、原辰徳前巨人監督に重用された斉藤がレギュラーを獲り、紀田は横浜を解雇された後、西武へと移籍した('00年に引退)。

 球界にあっての選手の浮き沈みと運を見てきた多村は「ともかく自分を磨くしかない」という結論に達する。多村にとって、もう一つ幸いだったのは、ファーム時代からのコーチ、田代富雄(現一軍打撃コーチ)の存在だった。「ずっと見守ってくれている人だし、言う通りやったら結果が出た」と全幅の信頼をおいているコーチが、“オバQ”のあだ名で、和製大砲として鳴らした人だったのも大きい。

 そして、多村のプロ意識をさらに高めたのは、昨年のメジャー代表との対決だった。いつどんな時でもフルスイングを貫く日ハム・小笠原道大の姿勢を間近で見て、感服したのだ。本人曰く「野球に対する取り組みが変わった」。遅れてやって来た男に、本来の素材のよさを開花させる時がようやくやって来た。

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