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「投手王国」を築いた男、一人静かに福岡を去る。 

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永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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posted2005/11/10 00:00

 「あと一日、あと一日、このユニフォームが着られると考えながらやってきたけど、ついにこの日が来てしまった……」

 投手王国を築き上げた立役者、ソフトバンクの尾花高夫投手コーチが、ロッテとのプレーオフに敗れた10月17日、ホークスのユニフォームに別れを告げた。

 新日鉄堺からヤクルトに入団。冷静な分析力で頭脳派投手として知られた。引退後、バレンタイン、野村克也の下で、投手コーチを務めた手腕を買われ、王貞治監督自らの誘いで、'99年、ホークスのコーチに就任した。

 「もう一度日本一と思っていたけど……。監督は絶対に妥協しない人。7年間やりがいがあった」

 斉藤和巳は尾花のことを「無口で余分なことは一切言わないけれど、なぜこのプレーをしなければいけないか、なぜここに投げなければいけないかを、的確に伝えてくれた」と言い、和田毅も「戦うための準備を厳しく教えてくれた」と慕っていた。田之上慶三郎、星野順治など、ファームでくすぶっていた投手が芽を出すことができたのも「何を投げるか、それはなぜか」という尾花の意識改革からだった。選手と距離感を保ちながら適切に指示をする。それがナインに浸透したとき、すでに王国はできあがっていた。

 王監督に退団の意向を伝えたのは、ペナントレース終盤だった。横浜に家族を残しての単身赴任。難しい時期にきている子供たちと一緒に過ごす必要を感じていた。王監督は、事情を察し了解した上に、次の就職先まで気づかってくれた。決まっていないと言うと、すぐに巨人関係者に電話を入れ「二軍なら遠征も少ないだろうから」と勧めてくれた。しかし、それを聞いた原辰徳新監督が、王監督に直接電話を入れる。

 「それだけの人材ならぜひ一軍に」

 シーズンが終了し「年に40日ぐらいしか家に戻らなかった。7年間の福岡暮らしだったから引っ越しは大変だよ」と汗だくになっていた尾花。そこへ杉内俊哉をはじめ何人かの選手たちから「引っ越しの手伝いをしましょうか」と電話がきた。尾花はその申し出を丁重に断り、一人静かに福岡を去った。「日本シリーズで会おう」という言葉を、エースの斉藤に託して……。

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