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同じ野茂英雄を取材していた者として「ジェラシーから手放せないでいる」…フリーアナウンサー大坪千夏が選ぶ「My Number」

2024/03/14
大坪千夏さんの「MyNumber」はNumber600号。複雑な思いについても語った
 これまでに「Number」とお仕事をしてきた人や、注目のクリエイターに自分の好きな、思い入れのある記事について語ってもらう連載『My Number』。今回は、元フジテレビで、現在フリーアナウンサー及び著述家としても活躍中の大坪千夏さんが、どうしても手放せないNumberとその理由について語ります。

 私は、フジテレビのアナウンサーになり「プロ野球ニュース」でF1の担当などをしていたのですが、3年後には、制作に異動を希望するようになりました。

 アナウンサーは、現場に一番遅く来て、一番早く帰りますが、制作スタッフは、一番早くに行って、最後まで現場の面倒を見るんです。もちろん放送の責任も持つ。そういう仕事がしたいと思っていました。でも、会社は「今せっかく売れ出したのに、なんでそんなことを言い出すんだ」と言って、何年も異動させてもらえませんでした。

 そこで、当時の編成局長に「どうしても制作をやってみたい」って直談判したんです。ちょうど野茂英雄さんの企画が走り始めていて、そのインタビュアーでもあったので、「それなら、2年くらい制作に行ってみる?」と急にスポーツ局への異動が決まりました。1997年のことです。

 異動してからは、プロ野球ニュースのADに始まり、野茂さんの企画を自分でディレクションもするようになりました。

 「Number」を本格的に意識するようになったのは、その頃です。私だけでなく同僚たちも、ドキュメンタリーを作る上でライバルとして見ていて、「ああ、この人こんなインタビューをしたんだ。どういう関係で選手に食い込めたんだろう」などと参考にしていました。ドキュメンタリーの冒頭を作る際に、「Number」をお手本にしている若手もいましたよ。

ジェラシーからこの号をずっと手放せないでいる

 私が大事にしているこの号は、その後アナウンス室に戻り、陸上の末續慎吾さんを追いかけ取材していた頃、アテネ五輪の年の4月に出たものです。この表紙を目にして、野茂さんのこんなオフの写真を使えるの?と驚いた記憶があります。

 600号という記念号で、「英雄秘話」と題して、野茂英雄、中田英寿、中村俊輔(この3本とも面白かった!)らトップアスリートそれぞれのゆかりの地をたずね、関係者の取材から選手の人物像を描き出す特集でした。

 中を開けて野茂さんの記事を読むと、私がいつか取材したいと思っていた、新日鉄堺時代の話がたくさん載っている――。

「ここまで取材できるなんて」。ジェラシーを感じたといいます
「ここまで取材できるなんて」。ジェラシーを感じたといいます

 「いつか自分はセカンドキャリアとして社会人チームを持ちたい」と取材当時私に言っていた野茂さん。その夢を選手の間に実現させたのか、ということに驚き、それを追いかけていた人がいたんだということに嫉妬を覚えました。取材するには手強い野茂さんが、インタビューにも答えているし。だから、この1冊をずっと手放せないでいるんです。

 野茂さんは、私が企画に関わっていた1996~1998年当時、こうも言っていました。

 「自分は高校時代に華々しい結果を出せなかった。社会人チームに行ったからこそ人間的にも成長できたし、野球の結果も出せた。そういう場がなくなるというのは、チャンスを失う人がすごく多くなるということ。だから社会人チームを増やしたい」

 近鉄や、新日鉄堺時代の仲間とも一緒に、NOMOベースボールクラブを続けている。そういうところも尊敬しますし、一本筋の通った人だなと、この記事を読んで改めて思いました。

 私は、野茂さんに取材者としての心得を指南してもらった気がします。育ててもらったともいえる。

 野茂さんがドジャースからメッツに行く頃でした。3年間で特番を3本作りましたが、1996年の最初の企画は「野茂英雄 3474球」というタイトルで、野茂さんがその年投げた3474球をすべて、本人に映像を見ながら振り返ってもらいました。

 私が「フォークは逃げているんですか」なんてとんちんかんな質問した時も「いやそれは勝負しにいってるんですよ」と、半分呆れながら丁寧に答えてくれたり。怒られることもありましたし、うまくいかないインタビューもありました。いい話が聞けた時はホッとしましたが、取材は毎回真剣勝負。ただ、試合のスコアを全部つけ、分からないなりに考え真面目に取り組んでいたことを評価して下さっていたのか、野球、MLBのイロハを教えてもらった気がします。

「のめりこみすぎている」と注意されたこともあるという大坪さん。でもそれが彼女の良さでもあります
「のめりこみすぎている」と注意されたこともあるという大坪さん。でもそれが彼女の良さでもあります

 野茂さんの取材に一生懸命になりすぎて視点がぶれることもあって、会社や同僚から「のめりこみ過ぎている」と意見されたりもしましたね。

 でも、その後、私が末續慎吾さんや岡崎朋美さんを取材するときも同じようにのめりこんでいたので、「大坪はこういうやつなんだ」と諦めてくれるようになりました。

 私は、2005年にフジテレビを退社し、夫の仕事の都合で、スイス、ブラジル、イギリス、マレーシアと17年間外国で暮らしてきました。その間、ずっとスーツケースいっぱいの「Number」も一緒でした。夫も愛読者なので、出張で来る方が持ってきてくださったり、私の母が送ってくれることもありました。

 100冊くらいは常にあったと思います。2年前にマレーシアから帰国する際、少し整理しましたが、もうバックナンバーが読めない、と思うと捨てられないんですよね。

 これからは、NumberPREMIERですこしずつ読めるようになるのを期待しています。

 

大坪千夏(おおつぼ・ちなつ)

1966年、福岡県出身。90年、フジテレビに入社。アナウンス部に所属しスポーツ番組などを担当。2005年に退職し、スイス、ブラジル、イギリス、マレーシアと長い海外生活を経て、23年に帰国。現在は、フリーアナウンサー、著述家として活躍。

photograph by Miki Fukano

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