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「野球の母国アメリカがこんなことしちゃダメだよと」王貞治の抗議が生んだJAPANの連帯【第1回WBC秘話】

2023/07/20
野球の母国で起きた誤審と「世界の王」の毅然とした態度は、日の丸を背負う侍たちと、日本国民の意識を変えた。海の向こうで逆境と戦う日本人の姿に触発され、列島全体がこの波乱に満ちた大会に熱狂した。

 2006年3月20日。米・カリフォルニア州サンディエゴのペトコパークに1本の日の丸がはためいた。

 この日行われた第1回ワールド・べースボール・クラシック(WBC)決勝戦で、日本はキューバを10対6で下し、初代世界王者に輝いたのだ。

 優勝を決めた日本代表の歓喜の輪の中に、1本のポールに結びつけられた日の丸の旗があった。代わる代わるにその旗を手にした選手たちが、思い思いに打ち振るう。そして宮本慎也(ヤクルト、所属は当時、以下同)から、この大会でチームの中心的役割を担ったイチロー(シアトル・マリナーズ)へと手渡された。

 表彰式の間、日本代表を率いた監督の王貞治(ソフトバンク監督)の横で、ポールを手にイチローは何度も、何度も日の丸を見上げて感慨に耽った。

「なぜだか分からないけど、最後の最後になって(チーム全体に)国という気持ちが湧き上がってきましたね。だからあれだけまとまったのだと思います」

 直後の会見でイチローはその時の気持ちをこう語っていた。

 真の野球の世界一を決める大会として始まったWBC。しかし主催はMLB(メジャーリーグ機構)とMLB選手会という一国のプロ野球組織だった。しかも開催時期もシーズン開幕直前の3月という設定で、第1回大会が始まる直前まで、一体どういう大会になるのかは誰にも分からなかった。

Naoya Sanuki
Naoya Sanuki

 当初はメジャーリーガーと国内組のトップ選手を集めて最強チームをというのが王構想だったが、契約問題などもあり松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)やメジャー2年目の井口資仁(シカゴ・ホワイトソックス)らが続々と出場を辞退。また国内組も荒木雅博(中日)や阿部慎之助(巨人)らがコンディション不良を理由に不参加を表明し、最終的には前年に日本シリーズ、アジアシリーズを勝ったロッテの8選手が中心のチーム編成となった。

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photograph by Getty Images

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