プロ野球PRESSBACK NUMBER

名将・広岡達朗の“異変”「90歳を超え、最愛の妻を亡くし…」取材者が痛感した“老いという現実”「広岡さんの“心のスイッチ”は押せるのか?」

posted2025/12/04 11:01

 
名将・広岡達朗の“異変”「90歳を超え、最愛の妻を亡くし…」取材者が痛感した“老いという現実”「広岡さんの“心のスイッチ”は押せるのか?」<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

2009年の広岡達朗(当時77歳)。90代を迎えて以降、カメラの前に姿を見せる機会は激減していた

text by

長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

PROFILE

photograph by

Toshiya Kondo

1978年、ヤクルトスワローズが叶えた奇跡の日本一。“冷徹な監督”は優勝未経験の弱小球団をどう変えたのか。数年にわたる取材で名将・広岡達朗の過去と現在に迫った書籍『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』が発売される。93歳になった現在も舌鋒鋭い評論活動を行い、ネット上で“老害”とも揶揄される広岡達朗の知られざる素顔とは。同書籍のなかから、広岡との生々しいやり取りの一部を紹介する。(全2回の2回目/前編へ)

◆◆◆

 電話をかけると、開口一番、こんなことを口にするようになった。

「耳が遠くて、よく聞こえない。ワーッとしゃべられても、何を言っているのかはまったくわからない。だから大きな声で、ゆっくりと丁寧にしゃべってくれますか」

ADVERTISEMENT

 それまでは携帯電話でのやり取りが主だったけれど、電波の問題なのか、「よく聞こえないから、自宅の電話にかけ直してほしい」と、固定電話での通話を求められるようになった。

妻を亡くした広岡達朗の“異変”

 続いての「異変」は、急激に足腰が弱くなったことだった。

「足が悪いので、外に出ていくことができない。だから、一日中テレビを見て、本を読んで生活していますよ」

 そんな言葉をよく聞くようになった。

 その後、広岡は妻を亡くした。

 長年連れ添った愛妻に先立たれてしまったことによって、精神的な張りを失ってしまったことも影響しているのだろうか、この頃から、会話がほとんど噛み合わなくなっていく。例えば1時間の取材の場合、40分程度は質問とは関係のない内容が語られることが多くなった。まさに広岡の独演会である。しかも、そのエピソードは、以前に聞いたことがあるものばかりだった。

 耳が遠いため、何度も同じ質問を大声でしなければならないこと。

 同じ話を何度も聞かされること。

 こちらが知りたいこととは無関係なやり取りが延々と続くこと。

 いつの間にか、広岡への取材は多大な忍耐力を要求されるものとなっていた。関根と同様、広岡もまた「時間ならいくらでもあるから、いつでも電話をかけておいで」と言ってくれていたので、いつでも連絡をすることはできた。けれども、「また今日も、同じ話を延々と聞くことになるのか……」と考えると、電話をかけることにためらいを覚えるようになった。

【次ページ】 「今日もダメだったか…」無力感に苛まれる日々

1 2 NEXT
#広岡達朗
#東京ヤクルトスワローズ

プロ野球の前後の記事

ページトップ