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「岩瀬仁紀を一人にしたら危ない…」中日・落合博満監督が苦しんだ“唯一のシーズン”北京五輪で5人離脱…岩瀬から森繁和に憔悴の電話「早く帰りたいです」
posted2025/11/28 11:01
落合ドラゴンズ時代、最も苦しんだ2008年シーズンのウラ話
text by

森繁和Shigekazu Mori
photograph by
JIJI PRESS
2004年から2011年まで、投手コーチやヘッドコーチとして中日・落合博満監督を支えた森繁和。落合ドラゴンズ時代、最も苦しんだ2008年シーズンのウラ話。『回想 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』(カンゼン)より抜粋して紹介する。〈全2回の2回目/第1回へ〉
最強メンバーも…なぜ2008年は低迷?
前年に成し遂げることができなかった、リーグ優勝しての日本一という「完全優勝」を目指してスタートした年。1年目のキャンプのときは「全員横一線」と落合さんは言っていたけれど、この年は逆に「レギュラー八人は固定」だと明言した。落合さんが監督になって5年目。常に優勝争いをしてきていたが、レギュラーを脅かす選手が出てこない、レギュラーと控えの差が激しい。そろそろそんなことが課題になってきていた。とはいえ、キャッチャーには谷繁がいて、内野はウッズ、荒木、ノリ、井端がいて、外野には内野から回った森野と新加入の和田がいた。誰かを抜擢しようにも選手の代えどころもなかった。滑り出しは良かった。開幕戦は引き分けたがその後は四連勝するなど、4月が終わった時点で16勝9敗の2位につけていた。ただ5月に入ると勝ったり負けたりが続いた。好調だった森野がふくらはぎを痛めて登録抹消となって、そこから打線がおかしくなって打てなくなった。
打線の中心に成長していた森野の離脱は、チームに大きな影響を与えた。交流戦はなんとか五割で乗り切ったが、巻き返したい7月は阪神に3タテを食らったり、4連敗もするなど9勝15敗と大きく負け越し。それまで維持していた2位の座も巨人に奪われ、オールスター前には2位巨人とは3・5ゲーム、首位阪神とは13ゲーム差もつけられた。

