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阪神一軍から“消えた”天才が明かす「なぜ投げられなくなったのか?」巨人から三者連続三振も…壮絶な投げ込み「じん帯がちぎれるような痛み」田村勤の証言
posted2025/10/31 11:02
阪神時代の田村勤。1990年代初頭、抑えの切り札としてチームを支えた
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph by
Kazuaki Nishiyama
〈小川健太郎――。王貞治に背面投法を試み、タイミングを狂わせた中日の沢村賞受賞者は70年、オートレース八百長に関与したとして、球界から永久追放を受けていた。〉
駒澤大学時代、田村勤はその小川に教えを請うていた。
「小川さんは寮の近くに住んでいて、よく練習を見に来ていたんです。僕が入学する数年前から、学生たちと顔馴染みになっていた。表立って指導するわけじゃないですけど、近所を歩いていると、声を掛けてくれた。駒澤は規律の厳しいチームですし、僕も真面目一直線に野球に取り組んでいた。だから、遊び心満載の小川さんの話にはヒントがたくさん詰まっていたんです」
「王貞治に背面投げした男」の教え
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小川は投手陣を連れて寿司屋を訪れたり、家で鍋をご馳走したり、大盤振る舞いをしてくれた。気楽に食事をする場で、田村たちに発想の転換を促していた。
「プロ野球という憧れの世界にいた人の話ですから、興味津々ですよ。そしたら、『雨が降るとプレートは真っ黒になるし、審判も見てないぞ。50センチ前から投げたら、バッターは打てん』って。『え、そこ⁉︎』と思うじゃないですか(笑)。背面投げにしても、破天荒過ぎるんですよ。まず思い付かないし、いくら練習をしたからといって、実行するには相当な度胸がいる。しかも、一番注目されるジャイアンツ戦ですからね。『4球ともボールと判定されたけど、全部ストライクだった』とずっと言ってましたよ」
田村は小川の話を自分なりに解釈した。
「『四角四面な考え方をする必要はない。茶目っ気を持って、演じなさい』という意味だと思うんですよ。『マウンドは孤独な舞台だけど、気持ちの余裕を持てれば、動揺しなくなるよ』と」
雨で苛立ちを募らせてもおかしくない場面でも、背番号36には笑う余裕があった。マウンドのぬかるんでいた1992年5月27日の大洋戦、延長14回からの2イニングを完璧に抑え、真弓明信のサヨナラ打で3勝目を挙げた。

