- #1
- #2
プロ野球PRESSBACK NUMBER
「江川卓、来てほしくねえな」ドラフト“江川事件”に巨人選手「ボケ、カス、アホンダラ」…国民が激怒した江川発言「興奮しないで」切り取られた真実
posted2025/10/25 11:02
1979年1月7日、阪神との契約交渉に臨む江川卓。巨人へのトレードを前提とした交渉は一時、暗礁に乗り上げた
text by

松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph by
KYODO
「江川が阪神に来ることはないんだろうな」
結局、1978年11月22日のドラフト会議は巨人のボイコットによって11球団で開催された。江川卓は阪神、ロッテ、南海、近鉄から1位指名を受け、抽選により阪神が交渉権を獲得。巨人は「12球団揃ってないドラフトは無効だ。リーグを離脱し、新リーグを発足する」などと怪気炎をあげて強気の姿勢を見せた。もはや振り上げた拳を下ろせなくなっていたのだ。
ドラフトから約1カ月後の12月21日、金子鋭コミッショナーは「ドラフト会議により江川の交渉権は阪神にある」と裁定を下す。しかし翌日の22日に緊急実行委員会を開き、事態の収束をはかるため「巨人はすぐさま江川との契約を白紙に。江川は阪神との交渉を開始し、キャンプまでに巨人へトレードする形での解決を望む」と“強い要望”を提示する。野球協約第142条「トレードを前提とした新人選手との契約はできない」を反故にしてまでの超法規的措置による阪神と巨人のトレード。ここでも日本ハム球団社長の三原脩は「協約破りだ」と徹底抗戦した。
結局、金子コミッショナーの要望通り江川は巨人との契約を白紙にし、阪神と交渉することになる。ここから大きく風向きが変わっていった。
ADVERTISEMENT
トレードを前提にした交渉にもかかわらず、阪神側は一切トレードの話を持ち出さない。江川はトレードの確約がない以上、契約することはできない。ここまで騒ぎが大きくなった以上、もはやレールから降りることもできない。八方ふさがりの江川は阪神との交渉で二度三度と決裂する。
当時、阪神の主力選手だった田淵幸一や掛布雅之は、江川が阪神と交渉していることについてどう思っていたのか。それぞれに尋ねてみたことがあったが、両者とも「そもそも政治家が介入している話だし、現場の俺たちはよくわからない」の一点張り。「ただ感触としては、江川が阪神に来ることはないんだろうなと思っていた」という。

