- #1
- #2
プロ野球PRESSBACK NUMBER
“ドラフト史上最大の事件”江川卓「空白の一日」とは何だったのか? 巨人OBが激怒「制度が崩壊する」江夏豊「江川も大変なんやろうな」選手からは同情論
posted2025/10/25 11:01
1978年11月21日、ドラフト会議を経ずに巨人と電撃契約を交わした江川卓(当時23歳)。他球団と世論の猛反発を招き、大騒動に発展した
text by

松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph by
JIJI PRESS
自民党副総裁が“後見人”に…キナ臭い指名拒否
「あれは誰がどうこうじゃなく全部自分の責任ですから」
この発言を聞くと、“昭和の怪物”江川卓はカルマをすべて背負い込むことこそが贖罪だと思っているのがわかる。一体、いつまで重たい十字架を背負い続けるつもりなのだろうか。
テレビやYouTubeでひょうきんな側面を見せ、カメラが回っていない取材においてもサービス精神旺盛に答えてくれる江川だが、「空白の一日」の単語を出すと、現場は途端に緊迫した空気に包まれる。それほどまでに、関係者の人生を劇的に変えた出来事だった。
ADVERTISEMENT
今から47年前の1978年11月21日、ドラフト史上最大の事件ともいえる出来事が起きた。それが「空白の一日」だった。
時は「空白の一日」の11カ月前に遡る。1977年のドラフト会議でクラウン(現西武)に1位指名された江川は、記者会見で入団を拒否する旨を表明した。会見には、当時の自民党副総裁で作新学院理事長でもある船田中が“後見人”として同席。有力政治家が後見人を務める時点で、すでにキナ臭さが充満していた。翌年、江川は作新学院の職員としてアメリカ留学に発つ。ところが、だ。
ドラフト前々日の11月20日に急遽日本に呼び戻され、翌日、つまりドラフトの前日に巨人と電撃契約したのだ。ドラフト会議の超目玉である江川が、野球協約の網の目をくぐってドラフト前日に契約したことが大騒動の引き金となった。
巨人は当時の野球協約第138条「球団が選択した選手と翌年の選択会議開催日の前々日までに選手契約を締結し支配下選手の公示をすることができなかった場合、球団はその選手に対する交渉権を喪失する」、141条「球団は選択会議終了後、いずれの球団にも選択されなかった新人選手と自由に選手契約を締結することができる」からロジックを構築。11月22日のドラフト会議の前日の21日はクラウンとの交渉権が切れているため、浪人中の江川は自由に契約できるという解釈のもとで暴挙に出た。これがいわゆる「空白の一日」の経緯だった。

