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「大山でいきましょうか」金本知憲が変革した“阪神ドラフト戦略”…大山悠輔“驚きの単独ドラ1指名”舞台ウラ「無難な選手のドラフトは脱却しないと」
posted2025/10/24 17:00
現在に至る阪神のドラフト戦略改革の立役者となった元阪神監督の金本知憲氏
text by

酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Kiichi Matsumoto
発売中のNumber1130号に掲載の[変革者が語る]金本知憲「生え抜きが輝いてこそ」より内容を一部抜粋してお届けします。
阪神タイガースのドラフト戦略
行く手を遮る者がだれもいない快進撃をみせた今季の阪神において、テレビ中継ではこんな表で打線の充実ぶりが紹介された。
1番 近本光司 2018年1位
2番 中野拓夢 2020年6位
3番 森下翔太 2022年1位
4番 佐藤輝明 2020年1位
5番 大山悠輔 2016年1位
上位に華の「ドラ1」が4人も並び、ドラフト戦略がいかに成功しているのか、よくわかる。阪神は'03、'05年に優勝した後、長くドラフトで苦戦してきた。甲子園での活躍を評価して獲った高校生も、即戦力を見込んだ大学生や社会人の上位選手も、その多くが伸び悩んだ。本来は下位評価の選手を関西出身という理由で上位指名するケースもあり、実力主義に徹しきれない。
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また、投手はオーソドックスなタイプ、野手はユーティリティープレーヤーが目立ち、指名選手の特徴も偏った。粗削りな剛腕や大砲タイプは少なく、リスクを冒さなかった。世代NO.1選手を狙って、くじに見放された不運もあったが、ひとりも一軍で活躍できずに終わった年もある。戦力供給の源であるドラフトがこれでは先細りする一方である。'23年につづいて、今季、独走での優勝に導いた選手の顔ぶれを見れば悪循環に陥った当時と隔世の感がある。
10月上旬の昼下がり。列島に居座っていた暑熱が消え、六甲の山なみを抱く街にも心地よい秋風が吹く季節になったというのに、バットを素振りした直後のように額に玉の汗を流しながら、その人が姿を見せた。
《無難な選手のドラフトは脱却しないと》
「風呂、入っとったんよ」
相変わらず、全身から熱を発している。
阪神を2度の優勝に導いた主砲で'16年から3シーズン、監督を務めた金本知憲である。この人こそが硬直化していた阪神のドラフト戦略に風穴を開けた張本人である。
《無難な選手のドラフトは脱却しないと。それはすごく僕も(球団に)言っている》
新監督に就いた'15年10月、初めてのドラフトを前にして金本は記者たちにそう語った。阪神のドラフトに対する金本の見方が端的に表れていた。
「もう10年か。あっという間やな」
コップの水を豪快に飲み干した金本はそう言うと、'15年の秋に新監督に就いた経緯から話しはじめた。実はその1年前にも打診されたが、荷が重すぎるとして断っていた。1年越しに再び請われ、チーム再建の先頭に立つ覚悟を決めたのだ。
「生え抜きの選手中心で勝っていくチームを目指したい。それなら引き受けます、ということ。球団には『とにかくチームを変えてくれ』と言われたけど、時間がかかると思っていた。最初『僕は育成は最大限、補強は最小限で行きます』と言ったからね」

