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「オイ、藤川。モミアゲを切れ」“ドラフト1位”藤川球児18歳が野村克也に叱られた日…阪神監督就任時は不安の声「球児で大丈夫か?」独走優勝のウラ側
posted2025/10/23 11:40
セ・リーグ優勝を決めて胴上げされる阪神の藤川球児監督。9月7日の優勝決定は史上最速だった
text by

内匠宏幸Hiroyuki Takumi
photograph by
Hideki Sugiyama
「オイ、藤川。モミアゲを切れ」野村克也がピシャリ
西暦2000年を迎える直前、阪神タイガースは暗黒時代の真っ只中にいた。そこに救世主が現れた……とファンは熱狂した。1999年、新たな監督として野村克也が招聘されたのだ。
ヤクルトスワローズを3度日本一に導いた名将にして、OB以外の超大物である。期待するなといっても無理な話だった。久しぶりに関西は盛り上がっていた。そんな野村と同じタイミングで、阪神に入団したのが藤川球児だった。1998年度のドラフト会議で高知商業から阪神に1位指名された18歳は、いきなり強心臓ぶりを発揮する。
2人の対面は年末の新人入団発表の席だった。「(10年後の自分は)3回くらい優勝して1回は胴上げ投手をやっている」などと、ひな壇で記者の問いに絶妙の表現で答えるルーキー。その横で野村が「職業を間違えたんやないか?」と苦笑いを浮かべる。力は未知数でも、度胸のよさだけは認めた。
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年が明け、1999年1月31日。キャンプ地の高知県安芸での合同ミーティング。宿舎の大ホールに一軍、二軍の首脳、選手、球団関係者が集まった。静寂の中、野村が姿を現す。希代の名将が何を語るのか。すべての視線が野村に注がれた。
「オイ、藤川。その長い鬢(びん)を切れ」
これが阪神での第一声だった。鬢とは耳の横のモミアゲのことで、18歳の新人は当時流行りのスタイルを好んでいた。これをいきなりバッサリとやられた。「あれには驚いた。さあ明日からキャンプインという時に、あの鬢発言でしょ。みんな、笑うこともできなかった」。当時を知る関係者はそう振り返る。翌日のスポーツ新聞にも、このやり取りは掲載されている。

