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野ボール横丁BACK NUMBER
藤浪晋太郎に黒田博樹が激怒「あの“死球”がトラウマになった」説も…藤浪晋太郎がDeNA移籍前に明かした「阪神時代、眠れなくなった過去」
posted2025/10/23 11:06
今年2月末、キャンプ地のアリゾナで取材に応じた藤浪晋太郎(当時マリナーズ)
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
NumberWeb
その書籍のなかから“藤浪晋太郎、30歳の告白”を紹介する。阪神時代の苦悩、イップスの話、メジャー挑戦、結婚願望……今年2月、筆者はアメリカへ飛び、藤浪晋太郎(当時マリナーズ)に話を聞いた。【全2回の1回目/第2回も公開中】
◆◆◆
昼の12時を過ぎると選手たちは次々とクラブハウスに引き返していく。メジャーのキャンプは午前中のうちに練習が終わってしまうのが通例だ。
私と編集者は、練習グラウンドのうちの一つのバックネット裏に建てられた小さなスタンドに腰をかけ、取材相手を待つことにした。
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その日のアリゾナも一片の雲すら見当たらない晴天だった。無人のグラウンドではグラウンドキーパーが小気味よい音を響かせてローラー車を運転している。
午後1時過ぎ、100メートルほど離れたクラブハウスの方から人が近づいてくるのが見えた。
大柄な選手が多いアメリカにおいても、その男のシルエットはやはり唯一無二だった。197センチという長身はもちろんだが、まるで男性化粧室の黒いマークのようにキレイな逆三角形の上半身と長い手足は遠目でも誰かすぐに判別することができた。
この人物に話を聞くためにここまでやって来たのだ。そう思うと背筋が伸びた。
「お待たせしました」藤浪が姿を現した
大谷翔平と一点でも交わった同年代の選手たちの、そこまでの野球人生と、それからの人生。大谷のことを書くわけでも、彼らに大谷のことを聞きたかったわけでもない。いや、正直に告白すれば、少しは大谷のことも聞きたかったのだけれども。
その旅路の終着点だけは最初から決まっていた。
藤浪晋太郎である。
大阪桐蔭時代、2012年に甲子園で春夏連覇を達成し、高校卒業後、阪神タイガースに入団してからは3年目オフに1億円を軽く超える年俸を手にした男でもある。そこまで藤浪は間違いなく同年代のトップを走っていた。
しかし、プロ入り4年目以降、藤浪のペースが少しずつ狂い始める。ときに走路から転げ落ちてしまったかのようにも映った。
一方、そのプロ4年目から、未だ人類が辿ったことのない道をものすごいペースで切り開き始めた男がいた。それが北海道日本ハムファイターズの大谷だった。


