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「史上最高の40歳」1988年の南海・門田博光は何が凄かったか…西武のエース渡辺久信の証言「ゴオオオオという低い音が、いつも聞こえるんです」

posted2025/10/01 17:00

 
「史上最高の40歳」1988年の南海・門田博光は何が凄かったか…西武のエース渡辺久信の証言「ゴオオオオという低い音が、いつも聞こえるんです」<Number Web> photograph by Makoto Kemmisaki

40歳となる1988年にMVPを獲得し、「不惑の大砲」と話題になった南海ホークスの門田博光

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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Makoto Kemmisaki

 昭和63年10月12日。南海最後の秋を不惑で迎えた大砲は44本目の本塁打を放ち、常勝軍団を蹴散らした。栄光に遠い鷹軍で淡々と打球を飛ばし続けた孤高の4番の素顔とは――。
 発売中のNumber1127号に掲載の[ノンフィクション]門田博光「1988年、史上最高の40歳」より内容を一部抜粋してお届けします。

 1988年10月12日、西武ライオンズの渡辺久信は負けられないマウンドに立っていた。パシフィック・リーグの優勝争いは熾烈を極め、残り5試合となった時点で、2位の近鉄バファローズとは1.5ゲーム差、試合を多く残す近鉄に優勝マジックがついている状況だった。リーグ4連覇を狙う西武としてはもう一戦も落とすことができず、エース渡辺が登板間隔を詰めて、中4日で先発することになったのだ。

 平日デーゲームの大阪球場はいつものように空席が目立っていた。急勾配ですり鉢状の構造をしたスタジアムは、ただでさえ打球音も関西弁の野次もよく通るが、観客の少なさがそれに拍車をかけていた。相手は10年連続Bクラスの南海ホークス。常勝ライオンズが普段通りの力を出せば、高い確率で勝てる相手だ。だが渡辺には一つだけ、南海を相手にするときの不安要素があった。門田博光である。

〈ホームランを打たれているイメージしかありませんでした。身体は170ぐらいで、むしろ小さい方だったと思うんですけど、打席の雰囲気や迫力で体の大きさ以上のものを感じていました〉

門田に最もホームランを打たれた投手

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 このシーズンに40歳を迎えた南海の4番バッターは奇怪とすら言えるペースでホームランを量産し、本塁打王争いのトップを走っていた。そして、この前日までに放った43本のうち3本は渡辺が浴びた。リーグ最多タイの15勝を挙げている右腕は、同時に最も門田にホームランを打たれている投手でもあった。

 プロ入りして5年目の渡辺は、ここまで阪急のブーマー・ウェルズやロッテの落合博満ら並みいるホームランバッターと対峙してきたが、その中でも門田は別格の存在だった。何よりも他のバッターと異なっていたのは「音」である。バットが空を切ると少し遅れて、切り裂かれた空気音が、18.44m離れた投手の鼓膜を震わせるのだ。

〈軽い音ではなく、ゴオオオオという低い音でした。普通は聞こえないんです。でも、門田さんのは、いつも聞こえるんです〉

 午後2時、プレーボールが宣告された。2回裏、渡辺はこの日最初の門田との対戦で三振を奪った。他の打者より重たいバットを使っているという門田のフルスイングは、いつもの重低音を響かせていた。投手の心を竦ませるその音が大阪球場では、いやに大きく聞こえた。

 西武渡辺の前に門田が三振に倒れた。5番打者の山本和範はその姿をネクストバッターズサークルから見つめていた。たとえアウトになっても南海の4番バッターのフルスイングはため息ではなく、どよめきを起こす。この日も「不惑の大砲」の背中は巨大だった。身長170cmの門田のことを「小さい」と言う者もいたが、その度に山本は何を言っているのかと思った。もう6年もともにプレーしているが、門田を小さいと思ったことは一度もなかった。

【次ページ】 山本が目撃した門田の衝撃の姿

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