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「砲丸を投げこむイメージで」“平成屈指の豪腕”石井一久が明かすストレートの威力が増した2度の転機「速球というより、豪球になった」
posted2025/08/22 17:02
NPBではヤクルトに12年、西武に6年在籍し通算143勝。メジャーではドジャースに3年、メッツに1年で通算39勝を挙げた石井一久
text by

生島淳Jun Ikushima
photograph by
Koji Asakura
発売中のNumber1125号に掲載の[平成屈指の豪腕]石井一久「砲丸を投げるイメージで」より内容を一部抜粋してお届けします。
砲丸を投げ込むイメージ
「僕のストレートのイメージは、陸上競技の砲丸の球を、そのまま投げこむイメージだったんですよ。ドスンって」
砲丸。日米両国の速球派投手の言葉をそれなりに聞いてきたが、砲丸をイメージして投げていた――というのは石井一久が初めてである。その想像力が、石井の大きな武器になっていたことは間違いない。
1990年代後半、石井はスワローズの主戦としてビュンビュンと速球を投げ込んだ。'97年にはノーヒットノーランを達成し、'98年(241個)、2000年(210個)と2度の奪三振王のタイトルを獲得した。'02年からはロサンゼルス・ドジャースへと移籍し、ルーキーイヤーに14勝、'04年には13勝をマークしてローテーションをしっかりと守った。
「僕は通用する」と分かった
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石井は「自分のストレートが威力を増したなと思ったタイミングが2度ありました」と振り返る。
「生意気に聞こえることは重々承知してますけど、'92年にスワローズに入団して分かったのは、『僕は通用する』ということでした。先輩たちが投げる球を見た時に、僕はいい意味でひるまなかった。自分のストレートは通じる。足りないものは制球力だったり、一軍のマウンドでの経験だけだと感じました」
ドラフト1位で指名された高卒ルーキーが持つ並々ならぬ自信。その源になったのが高校時代の冬の鍛錬だった。
「僕は、千葉県の東京学館浦安高校でプレーしてました。チームは弱かったんですけど、トレーニングはしっかりやってたんです。冬の間はボールを持たずに、徹底した体づくり。高校生なのに、フルマラソンを走ったこともありました。なんだったんだろう(笑)。でも、春になるとその成果が如実に表れるんです。2年の春、3年の春。秋とはまったく別人になってました。ストレートの威力が増していて、そのおかげで弱小チームなのに、プロのスカウトから注目されることになったわけです」
石井は高校時代に体づくりの重要性を理解したが、それが投球にどんな影響を与えているのか、体系化して理解することはまだ出来なかった。

