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「濱中をオリックスにください」「ナメてんのか!」阪神生え抜きスター・濱中治の電撃トレードはなぜ起きた? オリックスと阪神“寿司屋で極秘交渉”
posted2025/07/08 11:03
2007年オフ、阪神の生え抜きスターだった濱中治はオリックスへトレード放出された
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph by
JIJI PRESS
阪神のフロントとして野村克也、星野仙一、岡田彰布らのもとで働いた元編成部長、黒田正宏。24選手に非情クビ通告、電撃トレード、鳥谷敬獲得に向けた巨人との争奪戦……。あの事件の裏側を黒田本人がNumberWebのロングインタビューで明かした。【全6回の4回目/第5回へつづく】
阪神ファンが小山正明、江夏豊、田淵幸一に次ぐ生え抜きスター、掛布雅之の放出に嫌悪感を抱き、南海・門田博光とのトレードは幻に終わった。阪神にとって、この消滅は正解だったのか。
そもそも、エース・小山と交換で大毎オリオンズから獲得した山内一弘は4番として1964年の優勝に貢献。江夏の代わりに南海ホークスから移籍の江本孟紀は4年連続2ケタ勝利、田淵たちと交換でライオンズから加入の真弓明信は85年日本一の立役者の一人となっている。
黒歴史のように語られる「生え抜きスターのトレード」は、それまで成功していたのである。しかし、掛布―門田の“消えたトレード”以降、ファンの声を恐れてか、阪神は「生え抜きスターを出してチームを活性化する」という手法を取らなくなる。そのため、80年代や90年代は地味なトレードばかりになり、長期低迷の一因にもなった。
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その歴史を変えたのが、黒田正宏だった。
坪井智哉、濱中治…生え抜きスターの放出
事前に情報が1紙だけに漏れて幻となった経験が黒田を動かし、日本ハムとの商談は無事成立した。2002年11月12日に野口と坪井、22日に下柳、中村豊と山田勝彦、伊達昌司の交換トレードが発表された。6人の年俸は全て現状維持。不振に終わった下柳も1億4300万円のままだった。なぜか。

