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野茂英雄と鈴木啓示の確執の真相とは?「アンタも年いったな」悠然たる男・鈴木啓示監督に今こそ訊きたいがーー「取材はしんどいのと違うか」
posted2025/06/18 17:00

野茂英雄の渡米の大きな要因となった鈴木啓示監督との反目。今こそ鈴木監督に真意を聞こうと筆者は接触を試みるが……
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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Takahiro Kohara
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プロ野球の番記者には独特の不文律がある。球団の取材を担当した当時の監督には、退任後も「監督」と呼びかけるというものだ。筆者にとって鈴木啓示は、初めてプロ野球の番記者をした1994年の近鉄バファローズの指揮官だった。何十年経っても、現場で見かければ「監督」と声をかける関係は続いている。
2023年の日本シリーズで再会した際、鈴木は76歳。「おー、喜瀬君。アンタも年いったな。もういくつになった?」と声をかけてくれた。「56になりました。監督を取材していたのは、もう30年近く前です」と答えると、「そうやったか。お互い、年取ったな。体、気つけなアカンな」と返ってきた。変わらぬ分厚い体格と気遣いに、若かりし頃の"勇み足"の原稿を思い出し、心が痛んだ。
1994年、近鉄は開幕から負けが込み最下位に低迷していた。新米記者だった筆者は、球団オーナー・上山善紀の自宅を直撃取材。「勝率が5割とか6割とか、そういうのとは違いますな」という発言を引き出した。それを「鈴木解任」の見出しで断定的に報じたのだ。
「まだ出禁にしてないんですか、って言われたぞ」
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福岡への遠征の際、飛行機嫌いの鈴木が着陸待ちのため20分間旋回する機内で不安そうに窓外を眺めていた様子を記事にした。「鈴木監督、早く降りたい……降りられない」と整理部記者がつけた見出しは、振り返ると冷や汗ものだった。当時の近鉄広報からは「他のチームの広報に『サンスポの記者、まだ出禁にしてないんですか』って言われたぞ」と笑いながら忠告されたこともある。
それでも、今回の連載では、当時のマネジメントについて、選手との関係について、監督に話を聞かせてもらおう。鈴木の携帯電話に何度かかけたが応答はなく、留守電やショートメッセージを残しても連絡はつかない。だが、鈴木は度量の狭い人物ではない。断るにしても、きっと直接連絡してくれるような方だ。
鈴木が評論家として所属する新聞社の先輩に尋ねると、どうも体調面の懸念があり、最近は取材を受けていないようだった。
「ちょっと、取材はしんどいのと違うかな?」――。
〈つづく〉
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