NumberPREMIER ExBACK NUMBER
“じつは捕手だった2000安打の大打者”和田一浩が明かす松坂大輔の「わかっていても、あえて真っ直ぐ」…今も脳裏に残る痛恨の一発とは?
posted2025/06/18 06:00

捕手としてプロ入りし、のちに外野手に転向した和田一浩。打者に専念して通算2050安打を記録した
text by

赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph by
Keiji Ishikawa
発売中のNumber1121号に掲載の〈[大打者の前日譚]和田一浩&小笠原道大「私が捕手だった頃」〉より内容を一部抜粋してお届けします。
1年目のキャンプ「すぐに鼻をへし折られた」
プロ入りしてから打撃に専念するため、捕手から野手に転向する選手は多い。外野手として史上最年長の42歳11カ月で2000安打を達成し、最終的に計2050安打を記録した和田一浩は、その代表例だろう。
もっとも、和田自身は「外野に行ったので打てるようになったかっていうと、そう単純なものではないと思います」と言う。
「外野手になって心身の負担が軽減されたのは確かです。でも、打撃とは結局、守備とは別の技術なんですよ。それは外野手だから身につくわけじゃないし、捕手だからできないわけでもない」
ADVERTISEMENT
その半面、捕手としての経験が、和田の礎の一つとなったことも、また確かだ。
「小3の時、少年野球チームの監督に捕手をやれと言われてから、高校、大学、社会人、そしてプロに入って外野手に転向するまで、ずっと捕手しかやっていませんでした。だから、捕手目線でしか野球が見られない。外野を守っている時も捕手のリードを予測してポジショニングを変えたし、引退して解説者になってからも捕手の配球を中心に試合を見てしまう」
1997年にドラフト4位で神戸製鋼から西武に入団した時、和田は自信満々だったという。当時の正捕手・伊東勤を追い抜く意気込みで1年目のキャンプに参加した。
「すぐに鼻をへし折られました。初のブルペンで鹿取(義隆)さんの球を受けたら、2球で『代われ』。捕手の先輩たちのようにミットでパン! といい音を鳴らせなかったから。プロの投手はボールが動くのでいい音を出すのが難しい。1カ月練習しても、ボソッとしか鳴らなかった」
実戦で痛感した主戦捕手・伊東との力の差
実戦に入ると、「王者西武」時代の扇の要、伊東との力の違いを痛感させられた。