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「むしろ自分が力をもらっている」病院訪問に車椅子観戦者招待…カープ磯村嘉孝が自らの手で社会貢献を続ける理由〈チケット発送から駐車場の手配まで〉
posted2024/12/16 06:00
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
ASUWA
シーズンオフの12月3日、磯村嘉孝はユニフォーム姿で広島県大竹市内の病院にいた。広島県の「難病診療分野別拠点病院」として難病を抱えた患者たちがいる広島西医療センターを訪れていた。
2022年から病院訪問や車椅子観戦者の招待を続けている。21年オフ、元選手の球団職員が転職したパーソルキャリアと日本財団がコラボした、「アスリートの可能性、価値を知ろう」という活動を行う「HEROs ACADEMIA」のオンライン講習を受けたことがきっかけだった。
「もともと弟のこともあったので、何かしたいという思いはあったのですが、自分はカープでレギュラーでもなかったですし、なかなか踏み出せなかった。でも、そこでユニフォームを着て病院を訪問することで勇気を与えられると聞いて」
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磯村には3歳下の弟がいる。3歳の頃から歩行が困難となり、検査の結果「筋ジストロフィー」と診断された。中学生になったころには車いすでの生活を余儀なくされた。弟に献身的だった両親は、それでも三兄弟みんなに平等だった。兄とともに野球をしていた次男・磯村のことも惜しみなくサポートしてくれた。
「ただ、手助けが必要なだけなんです。子どものころから弟のことはすごくかわいかったし、でも家ではめちゃくちゃ生意気で。一緒にゲームをしたら、ゲームが苦手な僕がいつも負けてゲーム機をたたいていました」
祖父、父、叔父、5歳上の兄も甲子園に出場する野球一家に育った。そして磯村は甲子園出場をへて、プロ野球選手となった。弟もまた野球が好きだったからこそ、思うことがある。
「あれだけ野球が好きなのに、プレーできないことがかわいそうだと思っていた。たまに、僕が弟の運動神経などを取ってしまったのかなと思ったりもします。だからこそ、今でも弟の分も頑張りたいなと思っていますし、簡単に投げ出したり、諦めたりしたくない」
実現したいのは「笑顔の循環」
10年のドラフト5位で広島に入団した磯村は、平均在籍年数6.8年と言われるプロ野球界で14年戦ってきた。いまだ正捕手の座を射止められていないが、リーグ3連覇の時には3番手捕手としてチームを支え、代打の切り札としても重宝された。近年は若手の台頭に押されながらも、投手から信頼される捕手能力と状況に応じた打撃能力で10年連続して一軍出場を続けている。
ここまでのキャリアで磯村が公式戦で放った唯一のサヨナラ打は、弟が観戦に訪れた19年8月13日の巨人戦で生まれた。1−1の延長11回1死満塁で代打にコールされた。カウント1−1からの外角スライダーを捉え、レフトへ飛球を打ち上げた。三塁走者の鈴木誠也(現シカゴ・カブス)がタッチアップでサヨナラのホームに滑り込んだ。
磯村は一塁ベース付近でチームメートに水をかけられながら歓喜の輪の中心で喜びを爆発させた。そこで見た光景と同じように、試合後の光景も忘れられない。
「喜んでいる弟の姿もそうですし、弟だけじゃなく、その姿を見てめちゃくちゃ喜んでいる母親の姿も印象に残っている。僕が病院を訪問するようになったのも、そんな“笑顔の循環”があればいいなと思って」
講習受講を機に活動し始めたが、22年はまだコロナの不安が拭えず、オンラインでの交流会から始めた。昨年から実際に病院へ行くことができるようになり、今オフも3カ所の病院を訪問した。