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ぶら野球BACK NUMBER
ヤクルト野村克也監督に批判殺到「なぜ落合が外されるんだ?」巨人・落合博満40歳“まさかの落選事件”「野村監督は落合が嫌いなようだ」
posted2024/11/23 11:01
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売1カ月で3刷重版と売れ行き好調だ。
その書籍のなかから、「オールスター落選事件」を紹介する。13年連続で球宴に選ばれていた落合が野村克也監督によって落選させられる。野村監督の“言い分”とは?【全2回の前編/後編も公開中】
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落合博満40歳「オレは7割打つよ」
「イチローの打率4割? そりゃ、すごいよ。でも、ホームランがゼロでいいなら、オレは7割打つよ」(週刊ベースボール1994年7月25日号)
1994年夏、40歳の落合博満は、球界にキラ星の如く出現したオリックスの天才バッターに対して、そんな称賛と意地が垣間見えるコメントを残している。開幕直前に鈴木一朗から“イチロー”へと登録名を変更したハタチの若者は、春先からハイペースで安打を積み重ねたが、当初の注目度は意外に低く、初めてスポーツ紙の一面を飾ったのは6月25日の日刊スポーツだった。前日の日本ハム戦で打率・398に上げ、夢の4割に迫る背番号51が、またも2安打を放ち60試合目で日本最速のシーズン100安打を達成した日である。
まだ野茂英雄がドジャースに入団する前年で、日本の野球ファンにメジャーリーグは馴染みが薄く、スポーツ紙の一面は連日のように長嶋巨人や松井秀喜が独占。だが、7月以降はそこにイチローが食い込んでくる。「ベースボールマガジン 1994年プロ野球総決算号」によると、オリックスの前年は主要6紙でわずか3回の一面登場だったのが、1994年のイチローは個人で30回も一面を飾り、オリックスの観客動員はリーグトップの18・6%増、球団新記録の118万人をグリーンスタジアム神戸に集めた。たったひとりのニュースターが、球界のパワーバランスそのものを変えようとしていたのだ。
野村克也「いつまでも落合の時代じゃないよ」
“平成の新安打製造機”イチローと“昭和の三冠王”落合博満。1994年のオールスター戦は新・旧大打者の初競演が話題になる……はずだった。しかし7月9日、スポーツ各紙にこんな衝撃的な見出しが躍るのだ。「落合球宴外された」と――。