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「怖すぎて、むっちゃ気持ち悪くなりました」仰木彬と星野仙一…教え子が明かす質の違う“恐怖体験”「星野さんの暴れ方は、そりゃすごかった」

posted2024/09/28 17:01

 
「怖すぎて、むっちゃ気持ち悪くなりました」仰木彬と星野仙一…教え子が明かす質の違う“恐怖体験”「星野さんの暴れ方は、そりゃすごかった」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki / Kazuhito Yamada

近鉄時代の仰木彬監督(左)と中日時代の星野仙一監督

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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Naoya Sanuki / Kazuhito Yamada

 結果主義で非情と言われた仰木彬と、鉄拳制裁を厭わなかった星野仙一。「怖さ」という言葉は同じでも、その在り方は大きく異なる。教え子たちの証言から、恐怖の真髄を紐解いていく。
 発売中のNumber1104号に掲載の[質の違う恐怖]「日々、震え上がって」より内容を一部抜粋してお届けします。

 得体の知れない怖さと、わかりやすい怖さ――。

 仰木彬のもとでコーチを務め、現在はソフトバンクの二軍で指揮を執る松山秀明が振り返る。

「仰木さんは滅多に怒らないですよ。その代わり、笑いながら(スタメンから)外して、笑いながらクビにする。1年目だろうが、20年目のベテランだろうが、結果を出した人間を使う。結果至上主義者です」

「怖過ぎて、めっちゃ気持ち悪くなりました」

 近鉄時代、仰木のもとで捕手として5年間プレーした光山英和(現千葉ロッテ一・二軍統括コーチ)はミスをした日の翌日、こんな「恐怖体験」をした。

「藤井寺球場の一塁側の裏の通路を歩いていたら、向こうから仰木さんが歩いてきて。イヤやな、なんか言われると思ったら、おもいっきり睨んできたんです。『おはようございます』って言っても、だまーって通り過ぎて。まだ、なんか気配があるなと思って振り返ったら、こっちをくわって睨んでたんです。怖過ぎて、めっちゃ気持ち悪くなりました。仰木さんは野茂(英雄)とかイチローとか超一流には何も言わない。そのかわり、僕ぐらいの選手にいちばん怒る。二流、三流の選手は虫けら同然です。僕が指導者になったら、あんな理不尽なことだけはせんとこうと思いましたね。みんな仰木さんを美化し過ぎなんですよ」

 光山が仰木のことになると決まって披露するエピソードがある。'90年代前半、野茂と西武の清原和博の対決は「平成の名勝負」と呼ばれた。清原を打席に迎えると、野茂は直球勝負を求めた。光山がフォークのサインを出しても首を振り、直球を投げ込んでくる。にもかかわらず打たれるとベンチで仰木から灸を据えられるのは決まって光山だった。

「きさん(おまえ)! 何を真っ直ぐ投げさせとんじゃ!」

 仰木は激昂すると博多弁になるのが常だった。光山が呆れる。

「監督もわかってるんですよ。野茂が首を振って投げてるのは。でも僕も何も言い返せなかった。文句いったら使ってもらえないという不気味さがあったんで」

「星野さんの暴れ方は、そりゃすごかった」

 光山は'97年に中日に移籍している。そのとき、闘将と呼ばれた星野仙一のもとでもプレーした。

「星野さんの暴れ方は、そりゃすごかった。わめき散らして、手を上げる、足を上げる。けど、わかりやすかったですよ。仰木さんのような不気味さはなかった」

 その星野からもっとも怒られたであろう元中日の捕手、中村武志は現役時代をこう回想する。

【次ページ】 「グーだったか、パーだったかは覚えてないけど」

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