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プロ野球PRESSBACK NUMBER
巨人→西武“電撃トレード”直前の葛藤「本当に燻ってました…」今年30歳の大谷翔平世代・松原聖弥が続ける“育成ドラフト”からの下剋上
posted2024/07/05 11:01
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
JIJI PRESS
自らを「雑草」と称する。アマチュア時代はスポットライトとは無縁の経歴で2017年に育成5位で巨人に入団。「“思い出作り”くらいの感じで」と飛び込んだプロの世界で、松原の意識は少しずつ変わっていった。
巨人は2016年シーズンから三軍制を導入しており、2年目となるこの年は8人の育成選手が入団した。突然厳しいサバイバルに放り込まれた松原は、荒波にもまれながら必死に手足を動かした。
「もう無我夢中でした。支配下になりたいという思いはありましたが、周りのレベルを見ると正直、なれるとは思えなかったです。だから最初は、『支配下』、『一軍』なんて言葉は目標にも掲げられなかった。ただただ目の前のことにがむしゃらに取り組んでいく、そんな毎日でした」
23歳で掴んだ“支配下契約”
支配下選手登録という僅かなチャンスをものにするために不可欠だったのは、自分の武器を徹底的に磨き上げることだった。松原の場合は「足」だ。明星大時代、50m5秒8の俊足は光っていたが、盗塁の数はそこまで多くはなかった。リード、スタート、スライディング、牽制への対応、相手投手のクセの見抜き方……。走塁にまつわるスキルを一から学び、徹底的に鍛え上げた。育成での巨人1年目は三軍の試合で45盗塁。全く先が見えなかった視界が、ぼんやりと明るくなってきた。
「上を目指そうというハングリーな気持ちがようやく出てきたのは1年たった頃。がむしゃらにやってみて、結果がついてきて、そこからやっと支配下という目標が見えてきました」
2年目の2018年は、育成選手の中でただ一人、キャンプ一軍スタートを勝ち取った。俊足に加えて、打撃でも逆方向へ強い打球を飛ばす持ち味をアピールし、首脳陣の評価を高めた。そして登録期限直前の7月30日、ついに松原は支配下選手契約を結ぶ。背番号は「009」から「59」へ。胸を張って「プロ野球選手」と名乗れる日が訪れた。
この時、23歳。同学年のスター選手たちはすでにプロ野球で活躍していた。鈴木誠也は16年、17年と2年連続でゴールデングラブ賞とベストナインを獲得し、広島の4番を担っていた。大谷翔平は投打二刀流の活躍で16年に日本ハムを日本一に導き、この年に海を渡りメジャーリーグを席巻し始めていた。
「凄いですよね。でも自分にとっては遠い世界の話。同世代への意識はあまりなかったです。記事になっていれば見ることはあったけれど、実際には育成だった頃はNPBの球団と試合をすることもほとんどなかったですからね……」
抱え続けていた“クビへの不安”
しかし、そんな松原もメジャーリーガーを驚かせたことがあった。